2011年7月9日土曜日

里帰り

先日から、里帰りしている。

いよいよ明日から里帰りだ、という日に、祖父が亡くなって、当日はそのまま中津川へ行くことになり、そこで一泊した。

昨年の12月、妊娠が発覚する直前に叔父(祖父の長男)が亡くなって、父と弟と同じようなツアーをしたことがあったので、このタイミングで祖父の死に際し、これから子どもを産み出す身としては、生と死と血縁の因果について、思いを馳せずにいられなかった。

祖父の家のお葬式は神道式で、妊婦はお腹に鏡を入れて出るようにと言われた。
こんなに突き出た腹に合う喪服もないので、ユニクロで黒のTシャツを買って、黒のチュニックを着て、黒いストッキングを履き、黒いサボで列席。黒ければその場になじむもんで、なんとかなったけど、カットソーなので腹の中に潜ませた鏡の形がくっきりと見えてしまった。

祖父の晩年は残念ながらちょっとボケてしまって、ちょいちょい家庭内事件を起こしたものだけど、最期は老衰で眠るように死んだとのことで、良かったんじゃないかな、と思う。長く煩って徘徊して・・・とかやってたら、本人も家族も気の毒だったろうから。

それにしても祭壇の写真はいい笑顔だった。
この人がいなければ私もお腹の子もいないんだなあ、と思う。
いとこも多くて、ざっと20人くらいおり、その子どもたちも含めると大変な親戚の数。これらすべて祖父から発生していると思うと、なんだか動物というよりも植物の繁殖的な感じがする。

通夜の後、おときがあって、イカ、タコを中心とした激しく塩辛いオードブルと、やけに甘い助六寿司が振る舞われて、ほとんど食べられなかったので、弟と二人でココスへ行った。

ココスには初めて入った。
弟はサーロインステーキを食べて、私はエビドリアを食べる。
食後にドリンクバーのカフェラテを飲みながら、私が鎌倉から持参したクッキーを二人で食べて、いろいろ話をした。
弟と二人きりで食事をしてじっくり話すなんてなかなかないことなので、楽しかった。

その日はホテルに泊まり、翌朝はバイキングの朝食。
葬儀の後、火葬場へ行って、またセレモニーホールに戻っておときのお弁当。
お弁当についてきた炊き込みご飯は、昔祖母が作ってくれたものと味が似ていた。あの炊き込みご飯は祖母のオリジナルかと思っていたけど、この集落全体の味付けなんだなと知る。
ふたたび火葬場に戻ってお骨拾い。焼却炉の周辺には独特のにおいが漂っていて、これが人の焼けたにおいなのかなと思う。祖父の骨はカッサカサになっていた。

弟の車で実家へ帰る道中は、疲れ果てて眠ってしまった。
実家に着いても、何も食べる気がしなくて、すいかだけ少し食べて寝る。

これでようやく里帰り生活が始まった。

検診に行ったら、子どもは2300gくらいになっていたが、私の体重は減っていた。看護師さんがほめてくれたけど、これから1ヶ月がいっきに増えるそうなので、気をひきしめねば。

「足が長くて骨格がしっかりしたお子さんです」と言われたが、誰に似ているんだろう。
それにしても「足が長い」という言葉にすっかり気をよくし、もはや佐藤タケルみたいな青年像がサーフィンを持って出かける様を思い浮かべてにやにやしてしまう。

おじいちゃん、さようなら。
おじいちゃんからのDNAを受け継ぐ子どもをこれから産んで、育てていきますので、お見守りください。



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