2016年7月22日金曜日

子連れフランス旅日記  <友達づくりは難しい?編>

くーくー!

Cou cou! 子供に「元気?」「やっほ〜」程度の意味だそうです。

夫が無事帰国し、私と息子はLanuejolsの広〜い農家で数日過ごすことに。
昼間はCamprieuのオーベルジュ周辺で過ごし、夕方になるとこの農家に戻ってきて、2人で夕飯。


 これ、もう夜の9時くらい。明るい・・・。

天気がよくて気持ちがよかったある晩、外のテーブルでディナーをすることにした。
開放的な気分で、息子もご機嫌。
「オーベルジュ〜の肉♪肉♪うまい♪」
と自作の歌に合わせて、踊り狂っていた。

私は、鶏肉の煮込みをつまみに、ビールとワインをぐびぐび。
「太陽がさあ、沈んでも明るいお空のことをマジックアワーっていうんだよ。魔法の時間ってことね」
私が言うと、息子が、
「魔法の時間だったら、お願いごとしたらいいね!」
と言い出した。

そこで、暮れ行く空に向かって、2人で順番に大声でお願いごとを叫ぶことにした。
「ずーっと健康で、楽しく過ごせますように!」
私が叫ぶと、息子は、
「フランス語がわかるようになりますように!」
・・・そうか、偉いぞ! がんばろう!
 前向きな気持ちがあれば、きっと大丈夫。嬉しい気持ちになった夜だった。

いい顔して!と言うと、必ず変顔をする。

Camprieuのお祭りで、私はママ友をゲットした。
デルフィーヌは、10歳と6歳の息子を持つ、優しいママだ。
次男のロィックは、6歳にしては幼くて、のんびりした感じ。
息子とは意気投合して、手をつないで公園を走り回って遊び始めた。
電子辞書を片手に、なんとか主婦トークを繰り広げ、無理やり「らんでぶー!らんでぶー!かん!?」と、遊びにいく約束を取り付けるオバサンのわし。
さっそく翌日の午後、お宅へお邪魔することになった。

デルフィーヌのお家は、田舎ならではのドでかさで、どこまでが庭なのかわからない。
名古屋名物味噌煮込みうどん(すがきやのインスタントね)を持参して、上がり込んだ。
息子とロィックは表へ出てキャーキャー遊びはじめ、胸を撫で下ろす私。
うどんのお礼にと、デルフィーヌが手作りのパテをくれた。イノシシとトリュフで作ったという。海老で鯛を釣るとはこのことだった。

そのうち、デルフィーヌの親戚たちがやってきて、子供も増える。
ロィックは気心知れたいとこたちと、フランス語で話すほうが楽しくなって、自然と息子はひとりぼっちに。
仕方あるまい。


なんとなく絡んだり、一人だったり。


息子は一人でトランポリン。

ふだんどおりという感じで、遊ぶいとこ同士。

大人のほうも同じで、それこそいろいろ気を遣って日本のことを聞いてきてくれたりするのだけど、身内のトークで盛り上がると私は圏外。
よくわからんのでニヤニヤするしかないThe日本人。Le日本人というべきかw

疲れてきて、
「帰ろう」
と私が息子を促すも、ゴーカートみたいなので遊びはじめたフレンチチームを見て、ものすごくうらやましくなってしまったらしい。
「あれに乗りたい。まだ帰らない」
だ、だわね〜。
私が行くも、日本でいう「入〜れ〜て〜」すらよくわからないので、指で示して、日本語で「この子も乗せてやって〜」と言ってみるが、
「Non!」
つ、通じてる・・・

そのうち、ゴーカートは電池切れ。ガレージでチャージされて、息子に乗る機会はまわってこなかった。


翌日は、隣町のプールへ、デルフィーヌが連れていってくれた。
私は勝手に、寒い地域だから屋内プールだとばかり思って行ったら、思い切り屋外プール。
日差しはあるけど、水は冷たい。

ロィックが毎日受けているという、1回30分間10€の水泳レッスンに、息子も入れてくれないかと頼んでもらったが、言葉もわからないので危ないということで断られた。
私は月に一度の理由で、一緒にプールに入ることができず、プールサイドで見守る。


黒人、次に息子の順で黒かった。こちらでもよく日焼けしている。



デルフィーヌが軽くレッスンしてくれたが、すぐに「もういい」と息子。

プールサイドで、ロィックとジグソーパズルの取り合いになってしまい、息子が勝手に遊びはじめたものだから、ロィックはカンカン。
何しろそのジグソーパズルは、アエロフロートの機内でもらった土産で、息子がいらないからと言ってロィックにあげたものだったからだ。
くれたんちゃうんか、という感じだったろう。プンプン怒って、その後は息子と接触したがらなくなってしまった。
デルフィーヌが、スマホの翻訳ソフトを使って、説明してくれた。
「彼ハ特別ナ漢字ヲ持ッテイマス。」
な、なんじゃそりゃ? ふたたびやり直す。
「彼ハ強烈ナ個性ヲ持ッテイマス。」
な、なるほど。

その後、週に一度行われているというマルシェへ、プールから歩いて行った。
そんなに怒っているとも知らない息子、ロィックにじゃれついて、手をつなごうとするのだけど、振り払われてしまう。繰り返しするので、わーっと恫喝されてしまった。
凹む息子。
「ほら、わからないんだから、しょうがないよ。ほかの人がいやがることは、やめようね」
私が言うと、泣きながらゆっくりと歩いていた。

こういうのを見るのは、親としてものすごく辛い。
こんな諍いは日本人の子供同士であっても、よくあることなのだけど、言葉がマイナーであるという、それだけで弱者になる。
「くやしい」
息子が言う。
「くやしいねえ」
手をつないで歩いた。



マルシェには、ワインやチーズ、はちみつなど地元の製品や、おもちゃなどいろいろなものが売っていた。

タイの布でできたおもちゃをほしがる2人。
ロィックは、5€のヘビを買ってもらった。
息子は、12€のドラゴンをほしがった。タイなら何バーツだろう。激安なはずだけど、南仏くんだりまで来ると、こんなに高いんだなあ。しかし、さきほどの涙にほだされて、つい、買い与えてしまった。

そのドラゴンを「オレの弟にする」と言って、毎晩一緒に寝ている。
こんなものでも心の頼りになるのなら、安い買い物だったと思った。

帰りの車のなかでも、息子たちはほとんど口をきかないままだった。
まあ、口をきいたところで何もわかりあえないのだから、当たり前か。
私とデルフィーヌも、なんとなく気まずい雰囲気になったが、
「明日もプール行く?」
と言ってくれた。
「明日はちょっと予定があるから」
別に予定はなかったが、そんなふうに断ってしまった。弱いなあ、私は。
いずれ、また、こちらから声をかけてみよう。

苦い気持ちのまま、オーベルジュに帰ってくると、W君が息子と遊んでくれた。
「年下の面倒をみるのが君の仕事だ」
と家族に説得されたみたい。
面倒そうな顔も時折しながら、それでも息子と一生懸命遊んでくれた。
息子は嬉しそうだった。

私は、オーベルジュの洗濯や、キッチンでじゃがいも、桃などをカットする手伝いをした。
息子の笑い声を聞きながら、何かをするのは、とても気分が良かった。

そして、私たちは、誰もいない農家から、オーベルジュにふたたび寓居を移した。
これから、人の出入りの多い場所で、思い切りフランスの田舎を満喫しようと思う。

パリからやってきた、オーベルジュのお客さんが、息子を見て言った。
「見ていてごらん。毎日、少しずつだと思うかもしれないけど、あっという間に彼はフランス語を習得するよ。あなたより早くね」

まだ2週間にもならない。
毎日、少しずつ。
焦ってはいけない、と自分に言い聞かせる。

いまはもう深夜だけど、まだ外のテーブルでは、お客さんがワインを飲んで話しこんでいる。
窓の外から聞こえるフランス語の響きを心地よく感じながら、息子の寝顔を眺めている。



2016年7月18日月曜日

子連れフランス旅日記 <お父さんとのバカンス編>

息子撮影。きさくに笑顔を向けてくれるフランスの人たちにほっと和む。

ボンジュ〜ル!
あっという間に、フランス生活も1週間超。
今回は、荷物持ちとして同行してくれた夫とのバカンスについて書こうと思います。


モンペリエへ迎えに来てくれたF。20年ぶりくらいに会った。


お世話になるAさんと、運転中のFとの次男、W君。ヤングと息子ともすぐにうちとける。

2時間ほどのロングドライブを経て、ユネスコ世界遺産セヴェンヌ国立公園内にある小さな町、Camprieuに到着。

ここが、お世話になるオーベルジュ。100年以上の建物。かなりギシギシきてますw


さっそく夕飯をごちそうになる。
いろんな種類のチーズに、野菜スープ、ピッツァ。頬肉の煮込みも、出て来たなあ。

このトマトサラダ、全部トマト。一番上にのっている、黒っぽいトマトがめちゃめちゃ美味しかった!

Wifi環境も大丈夫。安心するヤング。


この日から、しばらくオーベルジュで寝泊まり。
翌日は、雨で、その後、ものすごく寒い日が続いた。
スウェット生地のパーカしか持ってこなかった私たち家族。
「どうする・・これ、11月くらいの気候だよ」
「寒い〜」
Aさんが、洋服をいろいろ貸してくれたのと、夏服を重ねに重ねて、なんとか観光へ繰り出す。

デジュネはスタッフに混ざってまかないを食べる。すんません!

W君とサッカーをして遊ぶ息子。フランス人はサッカーが大好き。

近所には、Abime de Bramabiauという有名な洞窟があって、雨脚が弱まった夕方、出かけてみた。

今の時期、日が沈むのは23時くらい。ずーっと明るくて、なんだか変な気分。
重ね着家族

ちょっと離れたところから見たところ。

ほほ〜、なかなかデカいねえ。どれどれ・・・。気軽な気分で入って行った私たち。

息子撮影。


写真では伝えきれないけど、かなりすごい洞窟です。

ガイドさんが先導してくれて、都会からバカンスに来ているフランス人たちにまじって観光する私たち。ところどころ立ち止まって、説明があるんだけど、早口だしさっぱりわからない。そして話がいちいち長い。言葉がわからないので、だんだん待つのが苦痛になってきた。せめて英語ツアーがあれば・・・いやいや、何しに来たんだ、英語の勉強にきたわけじゃないだろう、自分!!

2時間ほどの行程を経て、ようやく洞窟を脱出。
「疲れた・・・」
と息子。
しかし、売店ではさまざまな石が売っているので、恐竜→石ファンになりつつある息子は、その後「洞窟いこう!洞窟いこう!」 やたらと言う。
9月に友達が遊びにきたらね、となだめているところ・・・。

フランス語がわかる人には、きっと楽しめるこの洞窟。
暖かい格好、あるきやすい靴で行かれることをおすすめします。

息子が摘んでくれた野花でブーケを作る。

オーベルジュの近くには、とてもきれいな湖があって、散歩にはもってこい。
おたまじゃくしや、小魚が泳いでいる。
息子のお気に入りの場所になった。

Aさんが、
「車を使ってくれていいで〜」
と言ってくれたので、国際免許も持ってきたことだし、お言葉に甘えて、車を借りることにした。
しかし、ミッション車。
おっかなびっくり、田舎道で練習を繰り返した。

ドンドン、プスン。
何度もエンストをして、パニくりながらも、なんとか運転できるように。

じゃあ、ちょっと行ってみようか。
気を良くした私は、さっそく遠出をすることにした。


天気はいい、けど、超涼しいんだな〜。夫もブルブル震えていた。

出かけた先は、バイソンのいる牧場。

バイソン。フランス語では、ビゾーという。

なんでここにバイソンがいるかって?
これもガイドツアーに入ったけど、何を言っているのかまったくわからないので、謎のまま・・・。カナダとかオーゼタジュニとかいう言葉が聞こえたので、きっとアメリカ方向から来たのだろう。トホ。
 赤い看板が青空に映えて、とてもかわいい建物。

ここに、バイソンのお肉を食べさせるオーベルジュがある。
美味しそうだ・・・。
値段などを見て、とりあえず、いったんCamprieuに戻った。

翌日、張り切って11時半に再び牧場へ。
ランチは12時から、と言われて、しばし時間をつぶす。

結局、食べることしか楽しみのない私たちw

 サンテ〜♪ 

シンプルなお皿も、外国なら許せる。これが前職場だったら、「ちょっと〜けんちゃん、もっと何かないの〜」とシェフに文句を言っているところw

前菜は、バイソンのパテ。コクのあるコンビーフみたいな感じかな。美味しかった。


バイソンのステーキと、チリコンカンみたいな? あと、ポテトフライ。

バイソンのお肉は、完全に赤身、だけどとってもやわらかくて、さっぱりしていた。

ラングドック地方は、お肉料理とポテトが定番。
毎日肉を食べているけど、意外と飽きない。
でも、ポテトには飽きている・・・。

食後は、ぶらりドライブ。
プスンプスン、坂道でエンストをしながら・・・w
車が少ないので、練習にはもってこい。

「カーズ」に出てくるみたいな風景。マックインとメーターが遊んでいた牧草地を思い出して、「メーターのところだ!!」と息子。

何度も飛び降りては、喜んでいた。

驚くかな、ここ、翌日にはこの牧草のロールみたいなやつ、もう全部なかった。いつの間に運んだのかな・・・。

Camprieu では、年に1度の夏祭りラ フェット が行われる。
夏のあいだは、いろんな村でやっているみたい。
オーベルジュにも、その3日間はお客さんがいっぱいで、いったん、私たち家族は、オーベルジュのオーナーの家へ引っ越すことになった。


コケッコッコー!朝はほんとにこの雄鶏の声で目が覚める。

オーベルジュから、車で15分くらいのところにある、Lanuejolsという町。
牧草地を抜けて、鹿の鳴く森を越え、オーナーのご主人が営む農場の向かいに、その家はある。
隣の家は、数百メートル離れ、家のどこにも鍵がかかっていない、昔の私の実家のようなところだった。

家の近所の景色。誰もいない。

ここでも毎日、ワークをする息子。日本語の読み書きを忘れないように。

家にあった赤ちゃん用おもちゃを満喫する息子。

農場の温室には、なんとプールがあり、持って来た水着がようやく日の目を見る。


農場を見学。これは肉牛。


右側に見える森に、鹿がいっぱいいる。牡鹿の角が大きくてびっくりした。


誰もいませんw

夕飯は、オーベルジュからおかずや野菜をもらって来た。ワインもくれた。至れり尽くせり。

温室の奥にいた雌鶏が産んだばかりの卵を、即座に茹でてみた。こんな美味しい卵は、食べたことない! とろっと濃くて、甘みがあって、最高。いや〜、これは、贅沢。


サンテ〜♪ アルザスのビールは、とってもフルーティーでおいしかった。前菜のサラダは、リンゴ入り。

 Lanuejolsで、オーナーの親戚がやっているというレストランに来てみた。
だいたい、どのレストランでも、ランチセットみたいなのがあって、メインが選べたり選べなかったり。前菜、メイン、デザート。珈琲はだいたい付いてない。
店により、9〜20€くらいの幅がある。ここは、16€だった。

ここのは、魚か肉が選べたので、私は久しぶりに魚をチョイス。


鱒かなあ。ムニエル。すごーく美味しかった。

ヤングは、鶏肉の煮込み。これも美味しかった。

食後は、町の中心あたりをぶらり。人は少ない。
公園があったので、息子が遊びたいと言って入っていった。

Il fait beau! いい天気。

すぐ座るおじいちゃん枠ヤング。後ろには老人ホームがあった。



教会の塔を見て、「ロンドンだ!」と息子。

 お祭りの広告が貼ってある。


Camprieuに戻って、また公園へ。
とにかく広くて、走り回って遊べる。うちの近所のクジラ公園とは大違い・・・
 

これは遊具ではなく、大人向けのフィットネス器具。毎朝通おうと決めた。


鞍馬みたいなことをする器具。私は自分を持ち上げることができなかった・・・

こんな風に食べたり飲んだり、ぶらぶらしたりして、毎日が過ぎていく。
途中、ニースで過激派によるテロがあり、日本から安否の確認がじゃんじゃん来た。
同じ南仏とはいえ、かなり離れた山奥にいる私たちは、のんびりすぎるほどのんびりしていた。

やがて、だんだん、息子は、私たち大人といることに飽きはじめ、同世代の子供との交流を求めるようになってきた。

モンペリエまで迎えに来てくれた、AさんとFの息子、W君は、小5。
日本語はだいたい理解できるけど、話すことはできない。
息子は、W君を頼って、何度か遊んでもらったり、断られたりを繰り返し、やがてW君も、息子がまったくフランス語を理解しないことに飽き飽きしたようだった。
お家へ遊びに行っても、あとにして、とか、ダメ、とか言われるようになり、息子は意味がわからないので、私が適当に「宿題あるらしい」などとごまかして連れて帰ったりした。

あるとき、息子がW君の家のレゴを使わせてほしいと行くと、W君は怒って「ダメ」と言う。前回息子が使った際、W君の作ったものを壊したからだそう。
それでも息子は、彼の気を引こうと、買ったばかりのビー玉を見せようとしたが、「は?」みたいな態度を取られる。
私も、いい加減、嫌な気分になって、息子の手をひいて、「行こう」とその場を去ろうとした。
しかし息子は、唇を噛み締めて、「W君と遊びたい。W君と遊びたい」とつぶやく。

まあ、どちらの気持ちもわかる。

息子は、逗子に住むアニキ分Y君と、フランスのW君が同じ年なので、同じように遊んでもらえると期待をしてやって来た。
W君も、楽しみにしてくれていたと思う。でもそこには、やはり言葉の壁があった。
W君がいくら話しかけても、息子はキョトンとしているだけ。要望だけ日本語で伝えてくる。ただでさえ、4歳と5年生とでは遊びのギャップがあるのに、ずっとこれでは、付き合いきれないよ、というところだろう。

息子が彼の部屋を寂しげに見上げている様子に、私はつい、こみあげてくる感情を抑えられなくなってしまった。息子すら泣いていないのに、私のほうが、堰を切ったように涙を流してしまった。翌日は、夫が帰国してしまうという日だった。不安でたまらなくなってしまった。

このまま、息子に友達ができなかったらどうしよう。
私のつたないフランス語では、彼に友達を作ってあげることもできない。これからオーベルジュのお手伝いもするのに、エコールが始まるまでの1.5ヶ月、どうやって彼を楽しませてあげられるだろう?

いきなり泣き出した私を見上げて、息子はびっくりした様子だった。
夫に心情を吐きだし、座って泣いていると、オーベルジュのオーナーがワインを持ってきてくれた。
それから、Aさんも、オーナーも、オーナーの妹も、みんなが私の肩を抱いてくれて、大丈夫だよ、大丈夫だよ、私たちは家族だから、みんないるから。息子も必ずフランス語がわかるようになるし、友達もできる。安心して、と言ってくれる。

そこへ、折よく、オーナーの親戚の子供が、お祭りのためにモンペリエからやって来た。
W君よりも少し年上のC君が、息子と遊んでくれると言う。

オーベルジュの元の持ち主であるTおばあちゃんが、みんなに10€をくれる。
C君と息子は、それを握りしめて、お祭りへ出かけて行った。

C君は、日本語はまったくわからないが、息子を連れ回してくれた。

 マンガのようなペロペロキャンディーをC君に買ってもらい、ゴキゲンの息子。

「ほら、子供はこうしたもんだよ。あなたも疲れたんだよ。今日はゆっくり休んで」
オーナーが言う。

感謝しながら、Lanuejolsのお家へ戻った。

その夜。

急に、息子が夜泣きをした。
膝の裏が痛い、と大騒ぎ。
なだめながら、これは、きっと精神的なものじゃないかな・・・と私は思った。
カロナールを飲ませて、寝かしつける。

翌朝、息子はベッドから出ようとしない。
もう膝の裏は痛くないと言う。じゃあ、どうしたの?と聞くと、
「気持ち悪い」
まあ、じゃあ、何かお薬を飲む?と言うと、
「違う。オレは気持ち悪いんだ。気持ち悪い子なんだ。フランス語もわからない。オレは全然ダメなんだ」
しくしく泣く。

やっぱり、息子には、昨夜私が泣いた理由がわかっていたのだ。
話を聞かれないように注意したが、結局、察してしまったんだ。
私はちょっと動揺した。

それでも、この「気持ち悪い」という表現、思い当たることがあった。

私も、大学生のとき、アメリカにホームステイしたことがあったのだけど、1週間目くらいで、ものすごく気持ち悪くなったことがあった。
それまではなんとか環境になじもうと、観察をして、つたない英語で、最低限の生活はできるようになった。同時に、日本にいたときのようなコミュニケーションがとれないことに、徐々にイライラしはじめた頃。数日、食事も喉を通らなくなった。
友達ができて、韓国スナックみたいなところに連れて行ってもらって、カラオケしてブレイク、その後は楽しく過ごせたのだけど・・・

息子にも、韓国スナック的な何かが必要だ、 と思った。

「お母さんも、アメリカで、同じように気持ち悪くなったことがあったよ!」
息子に言った。
「え?本当?」
「うん。だから、すごくよくわかる。だけど、その薬は、頑張って、フランス語を聞こうとすることしかないんだよ。オーベルジュのみんなや、お友達をこれから作ってフランス語がわかるようになれば、絶対に治るんだよ」
「そ、そうなの?」
「そうだよ。最初はわからなくても、ちょっとだけでも、しゃべれるようになれば、気持ち悪いのはすぐ治るし、とっても楽しくなっちゃうよ!だから、お母さんとがんばろう。毎日、少しずつでいいから、フランス語おぼえようよ」
息子は起き上がり、涙をぬぐって、頷いてくれた。

ああ、この年齢で良かった。
もっと幼かったら、基本的に扱いが大変だし、 もっと大きかったら、この言葉の壁にさらに苦しんだことだろう。
それに、私が繰り出すきれいごとが、まだ素直に響く年頃で良かった。
そんな風に思った。

夫のフライトは翌日だったのだけど、当日モンペリエからCDGヘは、適した時刻のTGVがなく、パリに住むお友達に無理を言って、前泊させてもらうことになった。

この日、Camprieuからモンペリエまで、オーベルジュの誰かが車で送ってくれるはずだったのだが、お祭りで忙しく、バスで行ってくれないか、とのこと。

午前中に1本しかないバスでモンペリエまで行くと、予約したTGVの時刻まで5時間も待たなければならない。
しかたがない、慣れない道程だけど、私が運転して行くしかない、と決めた。

ドコモの海外1dayパケを奮発して、ナビを使おうと決めたが、田舎過ぎて通信事業者がまったくつかまらない。
Aさんに、だいたいの行き方をメモしてもらって、そのメモを頼りに、一路モンペリエへ。

いつも同じピンク色のパーカを着ているヤング、防寒具がこれしかないもので・・・。


 途中、ロッジ風の店でランチ。スキー場の近くみたいだった。冬は寒いんだろうな。

 この日のプレート。9€。串に刺さった牛肉。美味しかった。


 ムースオショコラ。どこで食べても美味しい。

 ティラミスは、やっぱり日本で食べたほうが美味しいかな。


後部座席から夫が地名をチェックしてくれて、なんとかモンペリエへ到着。
Occisitaneという、パーク&ライドができる駅に車をとめようと、ゲートの前に行くが、どうやって入ったらいいかわからない。
後ろの車に乗っていた人が、声をかけてくれた。

お金の払い方や、乗車券の使い方などを教えてくれて、私たちは近くの駅まで行くから、一緒に行こう、と連れて行ってくれることに。
優しい・・・。すがる思いでついて行った。

 トラモエと呼ばれるトラムに乗車する。

 プチ旅行気分で、息子も楽しげ。

 モンペリエは暑かった・・・トラムの中、冷房ないから、サウナ状態。

 TGVの出発時刻30分前に、なんとかモンペリエの駅に到着。

モンペリエは、コンパクトで綺麗な街っぽい。今度散策してみよう。

 駅の近代的なスーパーで、コンタクトの洗浄液を見つけて買い(田舎の店にはなかった)、息子がナゲット食べたい、というので、出発の時刻まで、駅前のマックへ。

 フランス式にビズして、お別れ。

ここで、夫と別れた。
息子は、あまり理解していない感じで、「じゃあね〜お父さん」とあっさり。

そこへ、女の物乞いがやってきて、ナゲットを一つくれとねだる。
息子は唖然。
こういう人たちを、見たことがなかったからだ。
Camprieuにはもちろんいないし、鎌倉にもいない。
その後、何人も浮浪者を見た。やっぱり都会なんだなあ、モンペリエ。

 ふたたびトラムに乗り、車を置いた場所へ。そして、ふたたびセヴェンヌへ。
ここからが、大冒険だった。
Aさんにもらったメモは、行きの目印が羅列してある。
帰りは、その目印をたどって行けばいいのだと思っていたが、なんだか違う・・・。
通ったおぼえのない道が続く。
「ここ、違うかも」
何度もロータリーをぐるぐる回っては出て、また戻って、を繰り返した。
「わからん・・・(汗)」

仕方なくそのへんにいる人を呼び止めるも、どの人も英語はからきしダメ、答えてはくれるが、早口でこちらもイマイチよく理解できない。
指差された方向へ進んだが、違ったり、とにかく迷いに迷った。

3時間ほどで、なんとかオーベルジュに到着。もうヘトヘトだった。

その夜、息子とベッドに入ると、それまで何も言わなかった息子が、また急に泣き出した。
「お父さんに会いたい。お父さんに会いたい」
まあ!なんと!
「お父さんは一人になっちゃった。お父さんはかわいそう」
しゃくり上げる息子。
そうか・・・。

「お父さんはさ、君のために、東京でお仕事がんばるんだよ。だから、泣くんじゃなくて、応援してあげてね」
と言うと、頷く息子。
「お父さんが、ちゃんと日本に帰れますように。お父さんが、お仕事頑張れますように。オレも、がんばるからね。お父さん、がんばってね」

そのまま、泣き寝入りをした。
抱き寄せながら、私もつい泣いてしまった。
大きな家に2人きり。ベッドもすごく広く感じた。

これから、息子と2人。
ここからが、この旅の本当のはじまりだ。
がんばろう、息子。
がんばろう、私。
そして、留守を頼みます、ヤング。