2015年11月2日月曜日

母病床で息子成長

毎日、毎日、僕らは鉄板の〜♪
と、つい毎日口ずさんでしまった。
顔に似合わず、血管が細い私は、採血、点滴、非常に苦労をする。一発でうまくいくことは滅多にない、2、3度、針を刺されては、「ごめんなさいね」と引き抜かれる。。

暇だから撮った点滴コレクション。
アド街風にご覧下さい。





Good Girl♪

なんと結局、腎盂炎ではなかった。
じゃあ何だったんだろう。先生が「肺炎だったか、胆管炎だったかも」と言ったが、いまだにわからない。 今日もまた診察があるが、果たして原因は特定できるだろうか。

長引いたのは、最初にヤブ医者に行ったのが悪かったと思う。
はじめからいい病院で診てもらえば、腎盂炎なんて言われずに、薬も適切なものをもらえただろう。来年はどうしても寝込みたくないから、ここで原因究明しておきたい。

ひどい腰痛。全身の倦怠感。日中は微熱、夜中は高熱。途中から咳、痰が加わったが、これは病院で二次感染したと思う。右目は充血して、めやにとかすみ。ついには口中に口内炎が広がり、絶望的に食事が辛かった。今日になって、ずいぶんと楽になった。口内炎も終盤戦というところ。
いったいなんだったんだ!7days!←分かる人昭和の人

この際、今年のデトックスが終わったと思おう。
神様が、休養せよと言っているんだと信じよう。

病院で点滴をする以外は、安静にしろと言われて、やることもないし、何もかもにやる気が起きないので、テレビばかり見ていた。録画してあった「大地の子」や、「コウノドリ」を見て、涙を流す。「カプトンイ」という韓流ドラマも見た。長くてまだ終わっていない。

食事が、とにかく困った。
自分は食べたくないが、家族には食べさせなければならない。

友達が、息子を保育園に迎えに行ってくれて、ご飯とお風呂を済ませてくれた。
また、別の日には、お惣菜を詰めて持って来てくれたりした。
これはありがたかった。

昨日は、夫もバンドの本番があって留守だったため、息子を公園に連れ出してくれた。



ストライダーが得意で、14インチの自転車なら乗りこなせていた息子。
買い換えをケチって、16インチの自転車を買い与えてあったのだが、まだ足がぎりぎりで、補助輪なしで乗ることができなかった。
それが昨日、友達パパの特訓で、上手に乗れるようになった!

家で寝ていると、続々送られてくる息子の動画。
ありがたいなあ、と涙が出た。
みんなに育ててもらっているんだなあ、と思った。


大きな自転車を乗りこなせることで、息子は自信に満ちた様子で家に帰ってきた。
もう真っ暗だというのに、私と夫に見せたいのか、「自転車やる!」と言い張っていた。

ああ、ついに、自転車に乗れるようになったんだなあ。
しばらくしたら、私の電動自転車の後ろに乗ることも、なくなるのだろう。
早いなあ、本当に早い。

朝起きると、息子の成長ぶりに目を見張る。
こんなに足が長かったっけ?
私が足を開いた部分に、すっぽりと収まって、オムツを換えていたのは、ついこの間のことだったのに。

泣く内容も、ずいぶんと変わってきた。
幼い頃は、自分のワガママや不快感からギャーギャー泣いていたこともあったが、今は少しずつ情緒的な部分が成長していて、
たとえば、今朝などは、
「シャボン玉やる!明日、やる!(年下の)@@君にはやらせてあげないけどね」
などと言うので、
「へえ、 そうなんだ。じゃあさ、たとえば、お隣のお兄ちゃんが、『君にはサッカーやらせてあげないよ』、と言ったらどうする?」
「・・・嫌だ」
「お隣のお兄ちゃんが、君にそういう意地悪を言ったことある?ないよね?どうしてかって、お兄ちゃんは強くて優しいからだよ。お兄ちゃんになるということは、年下の子に優しくするということなんだよ」
「・・・(絶句)」
「君が年下の@@君に、シャボン玉やらせてあげない、と言ったら、@@君は悲しいよね。わかる?」
「・・・ヒックヒック・・・うわあああああーーーん!!」
「お兄ちゃんに、なれるかな?」
「なれる、なれる、ごめんなさい、うわあああん!!」
保育園に送る車の中で、こうしたやりとりをして、大粒の涙を流していた息子。
まったくエモーショナルにもほどがあるが、 だんだん、こうしてコミュニケーションのなかでさまざまな気持ちを覚えているようで、おもしろい。

ある夜は、一緒に寝ている布団から、苦しくて這い出して、自分のベッドに横たわっていると、夜中に目を覚ました息子が慌てて私のそばに来ようとした。
「お母さんはちょっと苦しいから、今日は一人でそこで寝てくれるかな?お願いします」
と言ったら、シクシクしながら自分の布団で眠りについた。
 その様子を見ながら、うわあ、もう一度息子の布団に戻って抱きしめて寝たいという衝動を逆にこらえる自分ww

息子が成長するにつれて、自分がいかに息子に依存しているかを思い知らされる今日このごろ、おっと、いけないいけないと、自制をしては、さまざまに思いを廻らせる。

母も、そうだっただろうか。
息子(私の弟)が、幼い頃はかわいくて仕方がなかったはずだが、今は成人して世帯を持つ息子を、抱くことはない。抱いてたらキモいけど、なんというか、かつては触れ合ったものが触れ合わないのは、どういう感じだろう、などと思ったりする。もちろんゆっくりと過ぎる時間が、そんな執着を摩滅させるのだろうけども。
子どもが成人をして世帯を持つ、という、ある意味親としての幸せなゴールを見届けるのは、どういう気持ちだろうか。

そんなことを考えていたとき、母と電話で話をした。
母もこのところあちこち煩っていたのだが、そんな母が考えていたのは、自分の母親のことだったと言う。

体を壊すと、大切なものがわかる気がする。
自分自身の健康。家族。友達。

思いがけず今年も1週間以上寝込んでしまったけど、さまざまに反省して、来年に向けての気持ちも新たに。

気遣いのメッセージをくれたたくさんの友達、お見舞いに来てくれた職場の仲間たち、
そして、特に私たち家族のサポートをしてくれたH家、S子ちゃん、ありがとう。

元気になったら、みんなのために私も頑張ります!



2015年10月25日日曜日

秋の花火と運動会、からの〜〜腎盂炎

今年のダンスは「ダンゴムシロック♪」

早いもので・・・
息子、保育園に入園して、4度目の運動会を迎えた。

今年は前日に雨が降り、グラウンドのコンディションも悪かったため、体育館での開催となった。
そんなに人数も多くない保育園だから、この体育館という規模はちょうどよかった。
子どもたちを近くで見やすいし、寒くもないし、荷物も汚れないし、毎年体育館でお願いしたいくらいだ。

息子は前夜から張り切っていたが、「どんなダンスをするの」と尋ねても、出し惜しんで見せてくれなかった。

0歳児から、年長さんまで、6学年あるのだけど、
ああ、0歳児のときは、ああして親が子どもを抱いて入場したっけなあ、と目を細めた。
年少になり、ずいぶん先生のコントロールを受け入れられるようになってきた息子たちは、指示通りに行進したり、体操したり、座ったりしている。

赤ちゃんの頃は、かわいいばかりで、このまま大きくならなければよいのに、などと思ったりしたが、大きくなればなったで、やっぱりかわいいのが自分の子どもだ。
後日職場で、「うちの子、運動会でかけっこ1位だったんだよ〜」と言って、ついカメラを取り出し、見せようとして、ギリギリでぐっとこらえた。まてまて、他人は全然このかわいさ理解できない、いやがられるだけだ、と、寸前で気付いたのだった。トホホ。

息子、4、5人ずつで走るかけっこは、ぶっちぎりの1位だった。
しかし、ゴールの前で動画を撮っていた私は、よろめく別の子に気を取られ、テープを切る息子の姿ではなく、ドスンと倒れた子どもを中心に録画・・・・肝心の息子の勇姿を記録することができなかった。後で息子に見せたら、プンプンしていた。

ダンスも、大張り切りの息子。
一人だけ輪から離れ、広い場所で、アドリブを加えて踊り狂っていた。
うーむ。ダンスでもさせてみようかしら。








 Tシャツはそれぞれの手作り。なかなかいいじゃん、DIESELみたいじゃん!親ばか全開

綱引きの替わりに、ロープ奪取ゲームに参加した夫、1本もロープを取れず、息子もガッカリ。

 私は大玉転がしに参加。夫が私の写真を撮ってくれたが、これが私か・・・こんなにデブいかと驚いた。

参加賞はダイソーのフリスビーw おつかれさま!

小学校の「ランチルーム」という部屋(調理実習室のお隣)で、お弁当タイム。同じクラスの家族が集まって、わきあいあい。


はて、見れば、Yちゃんのママが3人目をお腹に宿しているではないか。
さらに、母子家庭だったY君のママのお隣には、新パパ候補か、若い彼氏の姿が。これはY君にもすぐきょうだいが産まれるぞ、とみんなが囁く。
ふと気付くと、クラスで完全一人っ子なのは、ウチだけになりそうなのだった。

ガ、ガ、ガーン。少なからずショックを受ける私・・。

まあねえ、こればっかりは、初産も遅いし、仕方がないんだけど。
だいたい君さあ、出てくるの遅すぎるんだよ、息子!!
私は3人くらい産んでもいいと思っていたんだけど、若い頃は。

苦労して得た一粒種、息子さえいれば、何も文句ないや!
などと思っていたはずなのだけど、最近、まわりに2人目や3人目が産まれるニュースにドッキリしたり、息子が「@@ちゃんには弟(妹)できたのになあ」などと言うたびに、ギクッとしたり・・・。

いったい、この感情は何だろう。

子どもができなくて苦労していたときは、それは辛かった。友達に子どもができたと聞くだけで、泣きそうになった。病院で妊婦さんとすれ違えば、吐きそうになったし、電車で見知らぬ子どもがギャーと泣いていると睨みつけたくなったりした。
あの頃は、ふたり目不妊で悩む人が憎かった。なんという贅沢を言うのだろう、と腹が立った。

母性とは、不思議なものだ。
子どもが欲しいのではなく、産んだ事実を欲するのだろうか。
こういう気持ちに駆られて一瞬、クラクラとして、我に返る。
もう「一人っ子を育てる人生」に舵を切ったのだから、迷うな、と自分に言い聞かせる。そしていつか一人っ子も棄てねばならない、一人っ子だろうと、ふたりっ子だろうと、何人っ子だろうと。

もう、この、子どもがいる、いない、一人、ふたり、それ以上、という問題は、
背丈や容姿のようなもので、自分の力では如何ともしようのないものであり、それなりに与えられた人生を、受け入れていくしかないのだなと思う。
 私という人間の能力では、もう一度生をやりなおしたところで、きっと、同じ年齢になったら、同じようなことをしているに違いないのだから。

お弁当は、息子のリクエストにより、味噌カツがメイン。
鎌倉、ときどき名古屋育ちの息子、味噌が大好物。




この日の夜は、もう一つお楽しみがあった。
藤沢市の花火大会が、江ノ島で催されたのだった。
季節外れの花火大会は、澄んだ秋の空に、適度な風が煙を消して、とても美しかった。


寒くないし、快適な花火大会だったね!

浜辺で保育園仲間と共に花火鑑賞。
子どもたちは、花火よりも、夜のお出かけが楽しくて、砂浜で飛び跳ねていた。
フィナーレは素晴らしく、さすがに息子も見入っていた。



翌日は、3家族で中央公園へ。
といっても、バンドがオンシーズンの夫は、お弁当を食べると、早々に去っていった。

サーフィンに出かける夫にいらだっているママ友たち、
いいじゃないの、サーフィンは小一時間だもんね。
うちは都内へ出かけたら、一日仕事ですわ。
でも、いいの。
その分、恩を売って、いざというときに、母も一人で出かけるのが、わが家流でして。
それに楽器をやらせていれば、ボケ封じになって、いいと思っている。早いかw



園内マップを見るなんて・・・ずいぶん発達したじゃないの〜



稲刈りのシーズンで、園内は日本昔ばなしムード。


 幼なじみの3人は、ストライダーで駆け回る。



岩山登りも楽しかったね!見てるこっちはヒヤヒヤしたけどね



おいしいおやつとコーヒーが欲しいね、と、公園を出てそのまま梶原まで降りていったが、目当てのポンポンケーキさんはお休み。
星乃珈琲でお茶をして、さあ、鎌倉駅へ戻ろうと歩き出したが、いいバスが来ず、結局鎌倉駅まで子どもはストライダー、親は徒歩。
けっこう歩いたなあ。

夕飯には、久しぶりにHG家が合流し、楽しいひとときを過ごした。
いつものように息子をお風呂に入れてくれたNobu君、ありがとう♪

息子は、帰りにふたたびストライダーにまたがったが、
「お、お尻が痛い!」
と絶叫。
あれだけ乗り回せば・・・痛くもなるだろうよ・・・。


しばらくお散歩にはいいシーズン。
運動不足の解消に、また、ぶらぶら歩きに行こうかな。

そういえば、ずいぶん前に、鎌倉に雑誌の散歩特集で取材に来たことがあった。
旦那さんもリタイヤされて、ふたりで喫茶店をしているという初老の夫婦が、お揃いのボーダーTシャツを着て、さっそうとハイキングルートから降りて来たところをインタビューした。
もう、子どもも巣立っていないし、ふたりでできることは歩くことなんだよね、と話していた。
いいなあ、と思った。
私も夫と、ふたりで、老後はハイキングをして過ごせるように、いまのうちから足腰を鍛えておこう。


・・・・・・と、
ここまでを書き連ねていた先週。

いま私は腎盂炎です。
先週の元気はどこへやら・・・

数日前から、腰痛と、脇腹の痛みを感じていたのだが、風邪の予兆かな・・と思い込んで生姜湯にマヌカを入れて、パブロンなどを飲んでいた。
※後日調べたら、生姜やはちみつはカリウムが多くて、腎臓に良くないんだって〜逆効果してた〜!!

日に日に増す倦怠感。微熱もあって、夜中には体中が燻されたかのように熱くなる。


病院で腎盂炎だと言われて、お尻にめちゃくちゃ痛い注射をくらい、安静と言われて家にいるのだけど、夜中に熱が上がり、苦しくなる。

いや、いま考えてみれば、もうけっこう前から予兆があった。
職場で、原因不明のほてりと倦怠感でしゃがみこんだりしていた。
更年期だと思っていたが・・・

そういえば、前も、 一週間くらい倦怠感が続いた後、扁桃炎とかになっていた。
体のサインを読み取るのは、難しいなあ。
 
ええと、40代のみなさん、お気をつけ下さい!!
トホホホ〜















2015年10月2日金曜日

9月の出来事

思い出に残るキャンプになった♪ H家、ありがとう!

9月のはじめに、息子は初めてのテント泊体験をした。
茅ヶ崎の柳島キャンプ場は、うちから一番近いキャンプ場だ。いつも134号を走りながら、どんなところなのかなあ、と思って眺めていた。
同じくキャンプビギナーのH家が誘ってくれて、2家族でキャンプ!
テントや食器なんかも全部レンタルして、持参したのは寝袋だけ。それでも十分楽しかった!

 息子は左側。よく似た2人。

これも息子が左側。これはちょっと違いがわかりやすいかも。

屋外でテレビやゲームもなく過ごせるキャンプは、子どもの情操教育にもいいと聞いていたのでw、ぜひ積極的に行きたいと思っていたが、初心者にはなかなかハードルが高い。
テントも持っていないし、タープとか、椅子とか、いろいろ買ったら高いし、積み込める大きな車も欲しくなる。夫はDIY野郎じゃないし、ま、無理かなあ、と半ば諦めていた。

それでも、今回、思い切って近場でやってみたキャンプは、本当に楽しかった!
息子たちも大はしゃぎ。持参したストライダーで、施設内をかけ回っていた。

 テント張りにも挑戦! テントは1000円でレンタル。

途中、丸い石を見つけた息子は「恐竜のタマゴだ!」と喜んで掴み、割ろうとしてガンガン木にぶつけている最中、自分の人差し指の爪を強打。これまで聞いたことのない絶叫ぶりで、すわ病院行きかと思われたが、急に「もう治った」と言い張り、遊びに戻った。
結局2週間後、爪は見事に取れてしまった。
家であんな怪我をしたら、もっと泣き続けていただろうに、屋外での遊びは、痛みを忘れるほど楽しいらしい。

それにしても、外で食べると、どうしてあんなに美味しいのだろう。
H家はヴィーガンなのだけど、Cちゃんが作ってくれたベジ塩焼きそばの美味しかったこと!  思い出してもまた食べたい。

偶然、隣のサイトでキャンプしていた、H家の知人たちとも一緒になった。

これが、おもしろい人たちだった!
南米で知り合ったというカップルは、彼女が地方のバカンスバイトを終え、自由業の彼Fと茅ヶ崎で合流。そこへ、若い芸術家カップルと赤ん坊もやって来た。彼らは自作のどぶろくを携えていた。

初めて会う人たちと盛り上がりながら、ああ、この感じ、久しぶりだ、と思った。
大学生の頃、時代は電波少年ブームで、バックパックでの旅行が大流行していた。
ヨーロッパへ旅行に行ったりすると、安宿にはたいてい日本人大学生かフリーターがいて、気が合う人たちと食事をしたり、夜通し飲んだりした。

社会人になって、いっとき、
バックパッカーって世捨て人だな。自分探しなんてばかみたい。自分は自分しかいないんだけど。そんなことする前にきちんと働いて国税を払えよ。
なんて目で見るようになっていたが、
いま、遅い子育てをしてみて、なぜかわからないけど、人間なんでもアリなんだな、と思えるようになった。
人が生まれて、人として成長するのを1から見直すことで、自分の他人への目線が、いかに型にはまったものだったのか、わかったような気がする。

息子と友達のU君は、 茅ヶ崎の自由人Fにすぐになつき、音楽に合わせて踊り狂った。
ああ、自由でいいなあ、と眺めながら思った。
その横で、日本の典型的なサラリーマンの夫は、泥酔して眠りこけていた。

同行したH家のD君は、自由人Fが忍者のように木登りをしては飛び降りるのを真似て、足をくじいてしまった。かなり酷かったようで、翌日は早めの解散。
あれから、病院へは行ったのだろうか。

キャンプは人を解放させるんだなあ。
H家のみんな、また行こうね♪


寿家さんの和食ケータリング♡ 最高でした♡♡

さて、息子は8月生まれなのだけど、
毎年やっていた同月生まれの子どもたちの合同誕生パーティーは、ちょっと遅れて9月に開催。

今年は趣向を変えて、寿家さんに和食のケータリングをお願いしてみた!

ビールが…日本酒が…すすんだよねえ〜


子どもたちにも、和食のセットを用意していただいた。
大人は、大好きな生麩の田楽に、お刺身、出汁巻き、お肉、天ぷらなどなど!!


ひさえさんの出汁巻きは最高なのです!

この豚肉も日本酒によく合ったなあ〜♡

 主役の3人とその妹、弟たちは、勝手に遊んでいてくれて、
すっかり大人の会を満喫ww

4歳おめでとう、みんな!


梅酒のシフォンケーキ!


結局、夕飯には中華屋からラーメンを出前で取って、息子もシャワーまでさせていただいて、帰宅。
楽しい一日だった。
ありがとう、ひさえさん、そして会場のK家♪



ともちゃん家は素敵なマンション!

最近、こんな感じで、日本酒を飲む機会が増えているのだけど、
久しぶりにワインイベントを開催。
秋谷に住む、ともちゃんと、スウェーデンのお料理教室×ワインの会!
ともちゃんは、スウェーデン人の旦那様との間に、お子さんが3人。
夏のバカンスで持ち帰ったスウェーデン食材と、お得意のパンで、珍しい料理をいろいろ紹介してくれた。


トナカイのサラミ! 独特の香りがあって、鹿に近いかな。おいしかった!

私は、ランブルスコ、甲州、日本酒、ソーヴィニヨンブラン、サンジョベーゼなどを、お料理に合わせて持参。
料理教室の後は、メニューとワインを順にマリアージュさせて、最後は結局飲み会にw
ちょっと珍しい試みだったから、ワインもセレクトが楽しくて、自分も勉強になった。
来てくれた皆さん、ありがとうございました!

あれからさっそくパン材料を買い込んで、1度焼いてみた。
美味しく出来たから、また焼くぞ、またやる。うん、きっと・・・(この根気のなさよ・・)


息子の最近のお気に入りファッション。マントは昔から風呂敷と決まっているよね。


9月から設置が始まった ガーデンルームが、ついに完成した!

共働きだし、、と言い訳にもならないけど、庭の手入れがまったくできない私たち夫婦。
最後には自分の背丈より高い雑草が生い茂る危険地帯になっていた。
ウッドデッキをつけていたけど、どうだろう、年に2、3回も使わない、どころか、出ることすらしなかった。雑草が見栄え悪いし、ヤブ蚊もすごくて、完全なるデッドスペース。

ウッドデッキも思い切って取払い、憧れていたリクシルのココマをくっつけることにした。

ソファを置いて、小さなリビングとして使うことに。

息子も「気に入ったよ〜!」だって。あ、靴はおニューだから履いてるだけですw

網戸も付けて、とっても快適!
ソファをそちらに移動したことで、室内も広くなり、これでピアノが置ける・・・。

そう、息子は4月からピアノを習っている。
週に1度、個人の先生のお宅へ通っている。
家にピアノがなく、練習するという概念がないので、そろそろ用意しようと思い始めた。

家が狭いので、はじめは電子ピアノを考えていたのだが、なんだかんだやっぱり高い。
レンタルピアノにしよう、とひらめいて、注文したのだけど、請求書を見て、なんだか嫌になってしまった。これなら、実家にあるピアノを運んだほうがよっぽど安いじゃん。
職場に出入りしている調律師さんに相談してみたら、これが大正解。
予算よりずいぶん安く、運べそう♪

実家では、今や誰も弾かない無用の長物。 ふつうのヤマハのアップライトなのだけど、デザインがけっこう気に入っていた。私と弟が使ってきた思い出のピアノだし、息子もいつまで続くかわからないけど、数年でも毎日触ってもらえたら、ピアノも(実家の両親も、か)本望じゃないかな。

今の家を建てて、もうすぐ5年。
建てる前は、私は子どもを諦めていたし、夫と2人、こぢんまりと暮らせたらいいな、小さなお庭では野菜やお花を育てよう・・なんて考えていた。
子どもができて、来客も増えたので玄関側を増築して、今回、庭側にガーデンルームをくっつけたら、鰻の寝床みたいな家になってしまった。
それでも、もともと小さな家なので、息子が巣立った後も、2人暮らしとしてはちょうどいいサイズかな、と思っている。

ひょっとしたら、将来実家のほうへ戻るかもしれないけれど、そしたら、最後にもう一度家を建てたい。小さくていいので、和風な家が欲しい。 そして老後は今度こそ、庭作りにチャレンジする。するだろうか、いや、しようじゃないか。



祝☆卒業!

2年間、息子が通っていた英語体操教室、マイジム。
英語は特に上達しなかったけど、大好きな時間だったみたい。
一時期、お兄さんたちの雰囲気に押されて、泣きわめいてプレイしないこともあったけど、それも乗り越えて、自分がお兄さんとして、しっかり楽しむことができるようになっていた。諸事情あり、退会することにしたのだけど、本人はまだやめたことを知らない・・・。
「今度マイジム行ったらさァ!@@君いるかなあ?」
などと言っている。

親としては、毎週日曜日に拘束されなくなって、ちょっと気が楽になった。
それでも、息子の元気玉を抜かねばならないので、何かしらまた習わせるか、ハイキングにでも連れ出すか。ラグビーをさせようと思っていたけど、このタイミングでは混み合ってるかな?

いろいろな習い事があって、やらせるのもやらせないのも親次第。
何がその子に合うのか、天賦の才能を見つけるなんて、砂浜で一粒のダイヤを拾うようなものだ。それが分かっていても、親が子どもにさせるのは、子どもが家庭以外の世界で、一生懸命何かに取り組んでいる姿を見るのが、何よりも楽しいからだ。
マイジムは、親子一緒のプレイから、分離して外側から眺めるようになって、私は楽しかった。毎週、授業参観をさせてもらっているような気分だった。息子が、インストラクターの言っていることを理解しようと集中していたり(だいたいは集中していなかったが)、猿のように器用にロープを上ったりするところを見るのが、おもしろかった。お友達と笑ったり、ふざけ合ったりしている姿がかわいくて、何度も写真を撮った。

そんな自己満足のために息子を利用するなんて、浪費なんだろう。
それでも、この浪費は、今しかできない贅沢だから、満喫しちゃおうと思う。
中学生くらいになって、部活を見に行ったら、「何来てんだよババァ」と一蹴されそうだ。でも試合くらいは見に行ってもいいよね、Sちゃん♡ 何の部活に入るか検討もつかないが・・・w

息子にはつねづね言っている。
小学生までは親の言うこときけ。中学生になったら、ほぼ、やりたいことを許す。高校生になったら、もっと好きにしていい。大学は進学するか含め任せる(金銭的には要相談w)。仕事は自分で選べ。結婚相手は誰でもいい。

もちろん本音は、いい大学に行ってほしいし、稼いでほしい。 でも今の世の中、昔通りの進路では高給が確約されない。結婚相手だって、変な人連れて来てほしくない。でもこっちが決めることではないし、口を出してロクなことにならない。
将来、自分の選択肢を増やせる、頭の土壌を作ることこそが、親の役目なんだろう。

そんなことを書き連ねながら、将来息子が事件でも起こしたらこのブログが引用されて、「どこで間違えた子育て論」とか言われちゃうんだろうな〜。

ま、結局、いつも、こんなことを考えていると、人様に迷惑をかけない人間であれば、いいか、と思ってしまう。 両親が考えていたようなことを、自分も考えるのだ。

さて、どんな大人になりますやら!









2015年8月25日火曜日

恐竜博物館とハッピーバァバデー

この夏もいろいろあったんだけどなぁ〜!
あっという間に、秋の気配・・・
旅行をしたり、働いたり、仲間と飲んだりして、おもしろおかしく、慌ただしく過ぎて行く夏。


 盛り上げるヤングw

8月19日、息子は、私の実家で、4歳の誕生日を迎えた。

その前の週から、バァバに連れられ、一人、私の実家で過ごしていた息子。
ジジババとの暮らしにも慣れたもので、家や庭で走り回ったり、ショッピングセンターに入り浸ったり、プールに行ったりして、とにかくエンジョイしていたらしい。
こちらも子を預けるのにすっかり慣れて、職場仲間と深酒したり、夫と2人でふだんは行けないレストランにて食事をしたり、大人の時間を満喫した。
父母よ、いつもありがとうございます。

正方形のケーキを4つ買って組み合わせる。結局たくさんケーキを食べない息子にはちょうど良かった。

バァバからのお誕生日プレゼントは、妖怪ウォッチ プロトタイプu だったかな、プロトタイプってなんだろう、なんだか知らないが、新しい妖怪ウォッチであり、それまで息子はメダルしか持っていなかったので、これにはずいぶん喜んだ。

音がうるさいんだよな〜コレ。


誕生日の翌日からは、私たちから息子へのプレゼント旅行!
息子が夢にまで見ていた福井県の恐竜博物館へ、早朝5時に出発した。

名古屋から車で3時間。
高速道路はずっと土砂降り・・・天気予報は、曇りときどき雨。
そこはスーパー晴れ男の息子、きっと肝々ポイントでは晴れることだろう、と信じていたが、あまりに降るので、少し不安になった。

福井県に入ると、雨も少し穏やかになって、到着した頃には、ほぼやんだ。
さすがスーパー晴れ男♪
勝山市に到着すると、ところどころに現われる恐竜のフィギュアに、みんなで興奮!

「かつやま恐竜の森」は、恐竜博物館をはじめ、疑似ジュラシックパークのディノワールド、恐竜の遊び広場などが集まる、日本一の恐竜テーマパークだ。
朝8時に到着した私たちは、少し広場で息子を遊ばせ、9時半に予約をしておいた「化石発掘体験」会場へと向かった。


恐竜柄の甚平に、恐竜のクロックス。全身恐竜ファッションで恐竜博物館へ。注目集めてた!
 

 「肉食恐竜の化石を掘るぞ!」と張り切る息子。

どうせすぐに飽きて、ヤングだけが掘り続けることになるだろう、という予想を裏切り、意外にも夢中になって石を割る息子。
30分ほどの発掘体験を、休むことなく真剣にやり続けた。



 ゴーグル姿もサマになってるね!


平らなところに移動して、さらにコツコツ!



 なんちゃらパールとかいう貝の化石を掘り当てた!

この発掘体験で知ったんだけど、化石って黒いのだ。
恐竜の骨は白いイメージがあったけれども、あれは化石を型にして造ったものなんだなあ。
息子は何も見つけられなかったが、ヤングは「油」と「貝」の化石を発見。
記念に石をいただいて帰った。


息子の大好きなスピノサウルス!「スピノは魚を食べるんだよ」らしい。

発掘体験中から、太陽が顔を出し、暑さが増してきた。
やった、ますます晴れた! 今のうちに屋外展示をまわっておこう、と、次に向かったのはディノパーク

「ライフサイズの恐竜が住む森」という遊歩道で、口や手が動く恐竜のフィギュアが20体くらい点在していた。息子は大喜び、しかしニセモノとわかっているのか、怖がることはなかった。


 後ろにいるのはマメンチサウルスだよ!

ランチは、朝のニュース番組で見た「恐竜バーガー」。
「サンドイッチ感のハンバーガーです」
という意味不明のコピーが掲げられていたが、食べて納得。サンドイッチみたいな食感で、とても軽い。パンは糖分が高めの、コストコのディナーロールみたいな味だったけど、とってもおいしかった。


 恐竜型のナゲットもおいしかった。

早朝わざわざ起きて、炊き込み御飯のおにぎりを作ってくれたバァバ。
このバーガーを分けて、朝に残ったおにぎりも全部食べて、ランチ終了。

そして向かった、恐竜博物館。
企画展も常設展もすべて流し見。展示の文字を読もうとするも、息子は走っていってしまう。


 広くて疲れた〜。展示内容はまだ息子には早かったかな。

 博物館のショップで、スピノサウルスの高いフィギュアを誕生日プレゼントとして購入させられて、恐竜の森を後にした。




これからショーを見ます!

続いて向かったのは、勝山市民会館。
DINO-A-LIVE」という恐竜の着ぐるみのショーが行われているというので、恐竜の森でチケットを買って、14時スタートの回を見ることにした。

スタートまで少し時間があったので、勝山市役所付近をぶらり。


だ、誰も歩いていなかった・・・。

人っ子一人いなくて、なんだか怖いくらい寂しい町であった・・・。
もっと恐竜で町おこししたらいいのに。。
恐竜丼に恐竜うどん、恐竜アイス、そういうのやればいいのに・・・何もなく、町にひとつだけあるという酒蔵に寄って、日本酒を2本買った。


 そして始まった恐竜ショー!
東京の会社が演出しているらしく、ショーはなかなかおもしろかった。

始まるぞ〜ワクワク♪ 1階には、座敷席も。

 キターーー!アロサウルス!

飼育員を伴って、アロサウルス、ラプトル、ティラノの3頭が順に現われた。
客席まで顔を突っ込んで脅してくる恐竜に、息子はタジタジ。

「いやだ〜こないで!!」あんなに好きなのに・・・。


 「ウワァアァァ〜お母さんの顔が〜!!」息子絶叫。

 「お母さぁん!!!」息子が泣けばなくほどおもしろくなる私。。

 ショーは、恐竜がしゃべるでも、何か芸をするでもなく、ひととおり暴れて観客を脅したところで、終了。さほど長くもなく、息子もしっかり怯えたことだし、総じて良かったんじゃないかしら。




「琵琶マスの刺身、最高〜」

恐竜ショーを堪能した私たちは、それから福井を後にして、滋賀へ南下。
福井の食べ物が大好きなので、途中サービスエリアに寄って、お土産を買い込んだ。
へしこ、永平寺味噌、鯛醤、ウニ醤などなど・・・。

ちなみに、この「@@醤(ひしお)」という製品、めちゃくちゃうまい!!!
ちょっと高いのだけど。


鯛醤は、お湯で薄めて、お吸い物にしたり、野菜のおひたし、鍋なんかに使える。しみじみと鯛の旨味が広がって、た、たまりません。

ウニ醤は、TKGの仕上げにひとかけ・・・、朝からゴージャス飯完成!!!
ネットでも買えるみたいなので、なくなったらすぐ買い足そうと思っている。


 それはそうと、
滋賀では長浜の料理宿「想古亭げんない」にステイ。
昔から一度泊まってみたいと思っていた宿。
20年くらい前から泊まってみたいと思っていたので、今回行ってみたら、ものすごく古びた宿になっていた。
趣は、庭師で凝り性だった祖父の家のよう、臭いは無精だった叔父の家のような、独特の・・・古い家の臭い。
チェックインしようとすると、間違えてキャンセルだと思っていたようで、「エッ」と言い、「大丈夫ですよ、」と取り繕って急に用意をしはじめた宿の人々。
かすかな不安がありながらも、二階へ上がる。

二間続きの部屋はやたらと広くて、3人きりの私たちは身を寄せ合うようにして座った。部屋の広さに対してテレビがものすごく小さく、テロップも目を細めて見る私・・・。


お食事は1階の囲炉裏のある部屋で。
琵琶マスや、川魚の佃煮、地元の田畑でとれた野菜の煮付けなど、山深い場所の料理。
どれもしみじみとおいしかった。


高速肩たたきをする息子。人生至福の時を味わうヤングw


近江牛。4つの味わいで。こうして細かくカットされて、味も違えば、高級な肉も食べやすいと思う。家でも真似してみよう。

私が今回の夕食で一番おいしいと思ったのが、このお出汁。濃厚な昆布のお出汁が、最高だった。焼きなすの香ばしい風味。また食べたい。


朝食は、眺めのいい広間だった。
釜で炊いたご飯がすこぶる美味しかった。


中央にあるジャガイモと卵のあんかけ、私も作ってみたい。息子は卵を食べないが・・・。


足を入れられる座敷。息子は田楽味噌でご飯をペロリ。


かつて、祖父の家には離れがあって、囲炉裏が設えてあった。
囲炉裏を囲んで座り、栗の菓子を食べて、祖父が「ものすごく高かった」と恭しく出して来た茶碗で御薄を飲んだ。あの茶碗はどこへ行っただろう。きっと高いものではなかったと思う。祖父はたまにホラを吹く、愉快な老人だった。

いま思えば、あの離れも、ああ、あの離れも(いくつかあった)、あの池も、群れ泳いでいた鯉たちも、小さな滝も、すべて、バブルの賜物だった。
私自身は公務員の娘だったので、バブルの恩恵をあまり感じなかったけれど、自営業だった祖父の家を思い返すと、「あれこそがバブルか」と嘆息する。

家業を継ぐはずだった伯父が病に倒れ、はじめに逝った。祖父母も亡くなり、いとこたちは別の土地を選んで家を建てた。もう誰もあの囲炉裏端に座ることはない。

息子との日記を綴るとき、どうしても回顧主義になるのは、子供だったときの私の目線に重なるからだろう。

囲炉裏から母方の祖父を連想し、一方で、古い家の臭いからは父方の伯父を思い出した。
母屋を建て替える前の、玄関から台所まで土間打ちだった、父の実家。

カビのような、獣脂のような、植物の発酵したような、それらがない混ぜになった古い日本家屋独特の臭いは、何から発せられていただろうか。台所のだるまストーブでエイヒレなどを焼きながら、ビニール張りの円椅子に伯父や父が座って、コップ酒を飲んでいた。

大人はあんなものを食べたり飲んだりして、何が楽しいのだろう、と嫌悪したものだが、今では私はそれらが大好物な上に、憧憬からか、自宅にも土間を打った。

野蛮な話し方に知性を感じさせず、自分勝手で強引な印象の伯父だったが、彼が死んだ後に産まれた私の息子は、胎内から出たばかりのとき、顔が伯父にソックリだった。
「アッ、わたし、伯父さんを産んでしまった」
と思ったが、その後はすぐに夫に似た。あれは何だったのだろう。

「野蛮な話し方に知性を感じさせず、自分勝手で強引な印象」などと亡くなった伯父の特徴を書いたけれど、これって今の私に近いものがある。
血縁とは、やはり、切っても切れないものがある。久しぶりに、伯父に会いたいような気がする。

なんだかずいぶん脱線してしまった。。
ふたたび、恐竜の旅の続き。

宿をチェックアウトして、近隣観光へ。
余呉湖を眺めて。


余呉湖。誰もいない。と思ったら変なカップルがカマロに乗って来て、静寂を破った。

それから渡岸寺へ、十一面観音様を拝みに行った。

観光がダルいお年頃になってきた息子。
お寺の駐車場に車を停めると、「え〜歩きたくな〜い〜」などと言う。
私も子どもの頃(からつい最近まで)、旅行における観光がクソ面倒くさいと思っていたので、気持ちはわかる。でも4歳はまだ早くないか!


「恐竜とお散歩しよう」などと言っておだてて、連れ出した。


母がだ〜い好きな井上靖先生の碑ですよ!

十一面観音像は素晴らしかった、詳しくないので何がどうすごいのかわからないのだけど、素人にも訴えるものがあると思った。

説明をしてくださる方がいて、椅子に座ってお話を聞いたのだけど、息子が「もう出たい」「帰ろうよ」などと言うのでなだめるのに必死・・・。


写真撮影禁止だったから残念だったけど、ネットで画像拾いました、
全部お顔が違う、どのお顔も、自分に問いかけてくるように見える。

それでも、ひととき、白洲正子気分を満喫。
たまにはこういう旅も必要だなあ、と思った。

このところ、文学少女だったときに愛着を持っていたものと、とんとご無沙汰。
院生の頃は、先輩とよく文学をテーマにした旅に出かけて、文学碑とかお墓とか、小説の舞台とか、めぐったものだけど、本すら手にとらなくなっている。

アメリカンドラマのロケ地で、萌え〜とか言ってる場合じゃないな、たまには文学めぐりでもして、心を清めよう! せっかく鎌倉に住んでいるんだから! 
と、思ったが、さて。

昭和な写真が撮れた♪


渡岸寺から、長浜の黒壁スクエアへ。

近隣でいちばん評判のよいラーメン屋さん「こtetsu」でランチ。

濃厚な鶏のスープ〜美味!

海洋堂のフィギュア博物館へ行き、息子は恐竜のガチャガチャを、私は岡本太郎のガチャガチャを。

ここでも恐竜みつけた!

黒壁スクエアといえば、ガラス。
何かいいガラスの器があれば買い求めようと思っていたけど、ファンシー系なものばかりが目について、何も買えなかった。


炭入りのチョコソフトを食べて、泥棒のようになる息子。


どこでも恐竜を持ち歩いて♪


最後にふな寿司など、また酒のつまみを買い込んで、実家へ戻った。


ひとつ年上のいとこ。大の仲良し!

実家では、近くのプールへ行ったり、いとこと遊んだり。

花火をしよう、と買いにいったが、もうシーズンの終わりだからか、仕掛け系の花火セットしか残っておらず、仕方なくそれを購入。
隣町の打ち上げ花火をチラチラみつつ、弟の家族と花火を楽しんだ。


 こんな大きな花火を持つハメに・・・。


お約束、ヤングの天に召される姿。


息子は10日以上過ごした私の実家。
日曜日の午前中に、いざ鎌倉へ戻ろうと、車を走らせると、無念のパンク・・・。

近所でタイヤを交換して、昼も近くなったので、お店でひつまぶしを食べて、さあ、今度こそ帰ろう、と、息子にトイレへ行くように促すが、
「バァバの家でする!バァバの家に帰る!」とゴネはじめた。
そこで、 もう一度、実家に立ち寄った。

もうお別れをしたと思い込んでいたバァバが、涙目で息子を迎え入れる。
コーヒーをいただいて、今度こそ、鎌倉へ。
最後にバァバに会えて気が済んだのか、息子は素直に車に乗り込んだ。
母にも、息子にも、いいことをしたな、と思った。


子どもがゴネるとき、泣いたりするとき、無理にねじ伏せるのではなくて、少しだけその意思に添ってあげたほうが、ものごとがスムーズに進むことがある。
(もちろん、聞いてやれないワガママや、友達を傷つけるようなことがあれば、容赦なく叱りつけるのだけど)
子どもの、そのときだけの無垢でささやかな欲求、その意図を汲んで、叶えてやる余裕を、できるだけ持っていたいと思う。

鎌倉に戻って、
「今回の旅で、何がいちばんおもしろかった?」
と息子に聞いた。当然、
「恐竜!」
と答えるかと思ったが、
「バァバ!」
と答えた。
そうか、それはそれで、良かった。

4歳の誕生日おめでとう、息子。
来年は、さあ、どんな誕生日を迎えるのかな?