2011年7月16日土曜日

実家生活

帰省して10日ほどが経過した。

クリニックのマタニティヨガを受けたり、友達とごはんを食べたり、子育てグッズの買い物をしたりして、毎日それなりに暮れて行く。

そんななか、このあたりはやっぱ田舎だなあ、とつくづく思って撮った写真を2枚公開します。

①穴ぼこを直しています

そうですかぁ、穴ぼこを。
ぼこをねえ。

②玄関に野菜

両親と買い物に出かけて、戻ってきたら玄関がこんな状態になっていた。
家はどこにも鍵をかけていないので、親戚のおばさんが畑でとれたものをよくこうして置いていく。
三和土の上とか、せめて新聞紙の上にでも、置いてくれたらいいんだけど。
今日はなすとピーマンの味噌煮に決まりだな。トッピングにみょうがのスライス必須で。

それにしても、ついこの間まで毎日銀座で働いていたなんて信じられない今日このごろ。

そういうことを考えると、よく高村光太郎の「声」という詩を思い出す。
この詩おもしろいから下記に転載してみます。
都会暮らしと田舎暮らし、どちらがいいか拮抗する内容なんだけど、「わかる〜」という感じになる。
私の場合は、ド田舎というよりド郊外出身なので、ここまで極端に考えることもないのだけど。

***

止せ、止せ
みじんこ生活の都会が何だ
ピアノの鍵盤に腰かけた様な騒音と
固まりついたパレツト面の様な混濁と
その中で泥水を飲みながら
朝と晩に追われて
高ぶった神経に顫へながらも
レツテルを貼つた武具に身を固めて
道を行くその態は何だ
平原に来い
牛が居る
馬が居る
貴様一人や二人の生活には有り余る命の糧が地面から湧いて出る
透きとほつた空気の味を食べてみろ
そして静かに人間の生活といふものを考えろ
すべてを棄てて兎に角石狩の平原に来い

そんな隠退主義に耳をかすな
牛が居て、馬が居たら、どうするのだ
用心しろ
絵に画いた牛や馬は綺麗だが
生きた牛や馬は人間よりも不潔だぞ
命の糧は地面からばかり出るのぢやない
都会の路傍に堆く積んであるのを見ろ
そして人間の生活といふものを考へる前に
まづぢと翫味しようと試みろ

自然に向へ
人間を思ふよりも生きたものを先に思へ
自己の大国に主たれ
悪に背け

汝を生んだのは都会だ
都会が離れられると思ふか
人間は人間の為したことを尊重しろ
自然よりも人口に意味ある事を知れ
悪に面せよ
PARADIS ARTIFICIEL!

馬鹿
自ら害ふものよ

馬鹿
自ら卑しむるものよ

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