2011年3月22日火曜日

シロノワール




平穏な名古屋生活が続く。
この週末には塩竃神社へ腹帯のおはらいに行った。
ダンナも新幹線でやってきて、私の実家に2泊。

昨日は夕方、大須へ遊びに行って、コメダで兄とお茶。
大好きなシロノワール(ミニ)を食べてご満悦。

非災害地で、募金のために街頭に立つ人がいるけど、その時間をつかって働いて、さらにお金をつかって経済をまわせ、と、経営者の兄は言っていた。ほんとにそうだなって思う。

ホリエモンがはじめた募金活動について、手数料はどうなるとか文句をツイッターに書きこんでいる人がいて、「だったら募金なんてすんなよ」とホリエモンは怒っていたけど、それもまったくそのとおりだなって思う。

とりあえずマトモに働ける人は働いて、ふつうに生活することがいちばん大事なんだろう。

大須へ行ったあとはダンナを名古屋駅へ送っていった。
エスカの山本家で味噌煮込みを食べて別れる。

実家暮らしは快適だけど、やっぱり何か落ち着かない。
満腹感と飢餓感が複雑に入り混じってお腹が気持ちわるいし、精神的には、自分の立ち位置がよくわからないような感じがする。
大学生のときにホームステイして3日目くらいに感じたのと同じ感覚だ。これって何なのかな。
はやく元の生活に戻って、自分のベッドで寝たいなあ。

2011年3月16日水曜日

今日から疎開

原発、本当に、心配だ。
使用済み燃料が冷えるまで3、4年かかるため、格納庫の上に置いてあるって聞いて、びっくりした。
じゃあ、いま現在アツアツの燃料棒は、どうなっちゃうんだろう。
政府も、東電も、官僚も、自衛隊も、大揉めなのは、醜い。そのうち人災と言われるんじゃないだろうか。

とにかく、もう大丈夫と太鼓判を押してもらえる(誰に!?)まで、妊婦はとにかく遠のいたほうがいいと判断した。これから新幹線で名古屋に向かう。

南相馬の幼馴染も、福島空港から無事脱出し、実家に戻ったと連絡があった。
ほんとによかった。

明日からは名古屋の会社に通勤。
残していく夫は心配だけど、とにかくお腹の子供を安全な状態に置けることに安堵している。
戦時中に疎開をした人たちも、きっとこんな気持ちだったんだろうと想像する。

被災地の人たちが早く救われますように。
一刻も早く私たちにも元の生活が戻ってきますように。

2011年3月13日日曜日

大渋滞の末

金曜日の地震、みなさん御無事でしたか。
私は南相馬にいる幼馴染と連絡がとれず心配しています(生きていることは確認済)。
家族で無事に暖かいところにいてくれますように。

金曜日当日は、朝から家のことで夫と鎌倉に行っていた。
午前中鎌倉裏駅にある銀行で用を済ませ、そこに車を置き、江ノ電に乗って腰越へ。
建築途中の我が家を見に行って、大工さんたちに挨拶をする。
そのあと、湘南江ノ島駅の近くにあるイタリアン「クラリタ・ダ・マリッティマ」でランチ。
これはすこぶる美味だった。

それから江ノ島水族館へ行ったが、入館料が高かったので、また子どもと一緒にこようかということになってすぐに駅へ戻ろうとしたそのとき、橋の上で被災。
信号機がブンブン揺れて、立っていられなかった。
しかし横揺れだから、たいしたことはないだろうと、おさまってから小田急の駅へ歩くと、電車はストップ。
何度も余震が来て、そのへんで立ち往生している人たちと話したりした。
地元の店の人たちが水路の水位を測り、「30センチ低くなってる。津波がくる」とおののいている。
だんだん怖くなってきた。

この調子では江ノ電もダメだろうと、いちおう行ってみたが、復旧のメドたたず。
そりゃそうか、あんな海沿いの電車、動かないにきまっている。
とりあえず車までなんとか戻らねばと、歩いて鎌倉の駅まで向かうことにした。
しかし海沿いを歩くのは怖かった。気のせいか、水位が上昇している気がするし、さっきまで青々して見えた海が黒々してみえる。ドキドキしながら、大きくなってきたお腹をささえ、トコトコと七里ガ浜まで歩いた。
プリンスホテルの近くでようやくタクシーを捕まえることができて、駅へ向かった。

地震のせいで、鎌倉一体、大停電になっていた。
信号機はすべて機能を失い、地元の人々がボランティアで手信号をはじめていた。
日本人って、なんてすばらしいんだろうと感嘆しつつ、そうとう混んできたので、手前で降りてまた歩く。
コンビニに寄ったら、レジの人たちは計算機を手打ちしていた。誰も万引きしていないようだったので、またすごいな、と思ったりする。

いざ駐車場へ戻ったら、停電なもので車両止めのバーが降りない。
銀行の人たちが、バーに板をかませてくれて、なんとか脱出成功。
さっさと帰ろう、と車を走らせはじめたのが夕方5時。やはり大渋滞。鎌倉駅から朝比奈インターまで、なんと2時間かかった。

やっと高速道路に入れた、よかった、と思ったつかのま、通行止めになっていて、並木で強制的におろされてしまう。地理にうとい横浜から、下道で千葉県まで帰ることになってしまった。
この時点で、こりゃ~マズイぞと思った私は、羽田近くに住むT子さん宅に連絡。泊めてもらう約束をして、とにかくそこまでは行こうと車を走らせた。

横浜市内は、これまでに経験したことのないくらいの大渋滞。
信号が10回以上青になっても、1センチも進まないということもあった。
深夜になっても、なかなか横浜を脱出できない。
東京方面から、人がたくさん歩いてきた。コンビニにトイレに寄ったら、ラックはガラガラ。おにぎり、パン類がほとんど売り切れ。携帯充電池も、どのコンビニにもなかった。
そのうち夫が腹がへったと言いだして、買ってきたのが、サッポロポテト、ベビースター、塩タンスモーク。
もうこのセレクトには絶句。チョコレートとか、なんか、血糖値上げるものはないのかと言ったら、「塩けが好きだから」というトンチンカンな答え・・・。
私はお腹がすかなかったから、サッポロポテトを少しだけ食べた。

えんえんゆっくりと進んで、T子宅に到着したのはなんと朝方4時すぎ。
11時間もかかったことになる。
ヘトヘトだったが、頭は妙に冴えてしまって、なかなか寝付けなかった。

翌朝、おにぎりやサラダなどをごちそうになり、まったりしていたら、T子宅のご主人が幕張からやっと帰宅。彼はメッセのイベント会場に行っていて被災し、帰宅をあきらめて会社の寮の談話室に泊めてもらったという。幕張からなかなか電車が進まなくて、時間がかかったと言っていた。
お昼にラーメンまでごちそうになって、ようやく出発した。
市川まで、これまた3時間以上かかって、なんとか帰宅・・・。

家の中では、食器棚からワイングラスが数個落ちて、ガラスがとびちっていた。
あとは本が散乱していた程度。
食器棚からすべての食器を出して、洗い直し、しまいなおした。
まあ、大掃除ができてよかった、この程度ですんだのだから。。と思うことにする。

妊婦としては、やはり原発の事故が気になっている。
実家に避難したらどうかとも言われたが、何となくあせって動いてはいけない気がする。
テレビも酷いから、あまり見ないようにして、音楽を聴いている。