「もう1回!」というのを、こうして人差し指を立てて表現するようになった。
こちら、比較的年を取っているので、息子の成長が速く感じられ、しっかり見えないような気がして不安になる。
本当に、新幹線に乗っていながら、通過するホームの駅名が読めないみたいな、そういう感覚。ああ、もっといちいち目に焼き付けたいのになあ、と、思ったりする。
「ナンバーワン!」いつかオリンピックで見せてくれるのを母は期待してるぜ。
そして自分は還暦を迎え・・・って、そうか〜、そうなるか。
と、いうことで、ことさらに一日一日を大切にしていこう、と思う今日このごろ。
先日は、保育園友達のSeigoどんとそのファミリーがわが家にやってきた。
いつも保育園で一緒のSeigoどんが現われて、息子のテンションは上がりっぱなし!
二人でキャーキャー、8時過ぎまで騒いでいた。
Seigoパパ&ママとは、保育園の話題で盛り上がり、深夜まで飲み続け・・・
ダンナはもちろん、途中で撃沈。
Seigoパパが持って来たライフロイグ18年、おいしかったわ〜!!
まだある、こそこそ飲もう。 しめしめ。
すでに聡明さがにじみ出ているSeigoどん(右)。
ところで、最近、離乳食も終わりつつあるな〜と実感している。
あまり硬くなければ、だいたいのものは食べるようになった。
今日は、鶏むねひき肉に山形の「だし」をまぜて簡易タネをつくり、餃子の皮で包んでつくる、水餃子を与えてみた。むさぼるように肉部分から食べ、ペッペッと皮を口から出していたが、結局後から自分で皿から拾って全部食べた。
最近は焼きトマトがお気に入りで、与えると両手でつかんで食べる。そして皮だけ口から器用に出す。この要領で、ぶどうも実のみ食べる。
ごはんはもうふつうに炊いたものを、食べやすいように一口大おにぎりにしているが、こうするとたいてい全部食べる。
過去に食べていたものの記録をふと見ると、4月は、「ブロッコリーすりつぶしとおかゆ」「コーン粥」などと書いてあった。
いまでは粥を受け付けない。のどごしがきついくらいの米飯を好む。
去年は乳しか飲まなかった生き物が、一年でこうなるのか・・・。
つくづく、おもしろいなあと思う。
次のステップは、まだ上手に使えないスプーン&フォーク。
少しずつ手にもたせ、介助しつつ食べさせているが、本当に使えるようになるのかというくらい乱暴だ。すぐに投げ出すし、テーブルに打ち付けて遊ぶ。
でも、それもきっと、後から思えば、そんなこと考えてたなあ〜、なんてことになるんだろうなあ。そして、あっという間に細部を思い出せなくなるに違いない。
つくづく、記憶の変化は、目で見るものの距離に似ているなあ、と思う。
たとえば、目の前にいる人の服装を見ると、何色の、どんな素材でできた、どういう飾りがついた服装なのかよくわかる。
でも、その人が遠のいたら、服装のディテールはわからないけど、なんとなく、色や雰囲気だけをまとめて認識する。
直近の記憶は鮮やかだけど、遠のくと、イメージだけが残る。そのイメージは、自分で勝手に編集していることが多い。
こういうことをテーマにして作品を創ったソフィ・カルという現代美術作家がいるんだけど、好きだなあ。最近はどんな活動をしているのかな。
とりとめもない内容になっちゃった。
秋の夜長のせいかしら!