2016年10月20日木曜日

子連れフランス旅日記 <さようなら、オーベルジュ編>

帰国して、はや10日以上が経った。
カンプリユで過ごした日々が、なんだか幻のように思える。
いつも通りの日本での暮らしが始まったが、3ヶ月、男の一人暮らしの部屋になっていたわが家を整理するのに時間がかかり、また、気持ちの整理もなかなかつかなくて、振り返ることが難しい。
それでも、いまのうちに書いておかなければ忘れてしまう、すでにいくつか忘れかけていることもあるので、記録しておくことにする。

F子たちをモンペリエへ送った数日後、パリへ旅立つことになっていた。

残り少ない日々を、私は惜しい気持ちで過ごした。
息子は、ここで暮らすことが当たり前といった調子で、毎朝元気よくエコールへ出かけて行く。

この広い空、忘れられない。

冬が始まろうとしていた。
セヴェンヌは、夏が涼しくて秋のよう。だから、秋はすっとばして、いきなり冬になる、と村の人は言う。

日曜日、オーベルジュのLouisが、2歳の誕生日を迎えた。
パパとママの両親も駆けつけて、アイドルタイムにお祝い。
シューを積み重ねた誕生日ケーキは、フランスの定番だ。
どの子もそうであるように、ケーキよりもボンボン(飴とかグミとか)のほうが嬉しくて、そればかり食べているLouisだった。

2歳って、どんな風だったっけ。息子のことを思い出そうとしたが、できなかった。


 Louisは牛が大好き。


私と息子は、彼に、シャワーの後に履く靴をプレゼントした。
2歳とは思えないほど大きな子供。靴のサイズは4歳児並みだ。

「ショコラとカマンベール!!」写真を見て、オレリアが大笑いした。黒と白。

毎晩、息子と一緒に、Louisをシャワーに入れた。
はじめはシャワーが大嫌いで、泣いていたLouisも、すぐに慣れて、私の顔を見れば「Douche♪」と言うほど。

息子が仕込んだ、シャワーで口の中に水をためて吐き出す芸は、「Fais A!!(アーンして)」でマスター。自らシャワーに顔を付けるようになったLouis。
また、「バンザーイ」と言うと、「バンジャイ」と言って両手を上げるようになった。
かわいかったなあ・・・バンジャイ。

フランス全土で大流行しているプー(シラミ)、保育園でうつってしまい、痒そうだったっけ。息子は、うつりにくいタイプなのか、大丈夫だった。

「ピーピーポー!」と言えば、ピッピポット(おまる)のこと。
トイレトレーニング中のLouisは、上手におまるでピッピ(小)もカカ(大)も成し遂げるようになってきた。

ああ、思い返せば、楽しかった。
一人っ子だから、一度きりだと思っていたトイレトレーニングを、もう一度母親のように体験できるなんて。
Louisがシャワーでカカしてしまい、息子と大慌てで処理をしたのも、いい思い出だ。
次に会うときは、すっかりトイレで用を足しているんだろうな。

シャワーの後は、一緒に晩ご飯を食べた。
息子よりも早く、たくさん食べるLouis。 すでに生ハムやサラミ、チーズが大好き。野菜は大嫌い。

私たちのことを、覚えていてくれるだろうか。
2歳では、ちょっと無理かなあ。

 日仏兄弟。お兄さん気分が楽しかったね。


 中学生のHugo。オーベルジュに来ては、息子と遊んでくれた。

そして、あっという間に、オーベルジュを去る日がやって来た。
エコールへは、お昼まで登園。
先生はじめ、みんなに挨拶をするために、私も迎えに行った。


 Louicと肩を組む息子。担任のパトリシア先生。みんなありがとう。

 エコールの皆が描いてくれた絵や、手紙をたくさんお土産に、荷物を詰めた。

オーベルジュのバーで、簡単にお昼ご飯を食べたら、モンペリエへ出発。

仲間たちみんなに、挨拶をした。

「また来年ね!」と言うと、タティおばあちゃんは、
「私はもう89歳。だからもう会えないかもしれない」
そう言って泣いた。
大丈夫、必ずもう一度会えるよ、抱きしめたタティの体の小ささを実感して、私も号泣。
リアルうるるん滞在記やん・・・。。

 ありがとう、A子さん、オレリア、Louis。

オレリアが、
「持っていって!!」
と、地元のチーズをたくさん真空パックして持たせてくれた。

本当にありがとう。
なんだか、何を言っていいかわからなかった。


A子さんの車に荷物をすべて詰めて、さあいざ出発。
あれっ、W君は?
 彼はもう午後のエコールへ出かけてしまっていた。
「ご挨拶できなかったね」
と息子。
「もう〜あの子は・・・。ごめんな、手紙書かせるわ〜!」
と母のA子さん。
手紙はきっと届かないだろうな、と心の中で笑いながら、車に乗り込んだ。


山道を下って、モンペリエに着いたら、車を置き、TGVの駅までトラムに乗る。
何度も通った道程。A子さんの運転で一緒に来るのは、意外と初めてだった。

少し時間があったので、コメディ広場でお茶をしてから、TGVの駅へ。
ホームまで、A子さんがついて来てくれた。

乗り込み口で話していたのだけど、出発まであと5分、というところで、 息子が「もう席に座りた〜い〜」と空気の読めない発言。
出発前に別れた。

座席を探すのに手間どって、席についたのは動き出した後だった。
窓からA子さんを探したが、見つけることができなかった。



夕飯は、車中でツナサンド。

車窓から夕暮れを眺めながら、TGVはパリまで4時間。
パリでは、荷物が多いから大変ということで、R子さんが駅で待っていてくれることになっていた。

それにしても、長かったような、短かったような、南仏セヴェンヌでの生活。

私は、今でもそうなのだけど、
この旅の終わりの、TGVでの車中の気分は、複雑で、何とも言い表しづらい。
どう言ったらいいのか・・・寂しいとも、悲しいだけとも違う、不思議な感情。これを、日本に戻ってきた今、まだ引きずっている。

Facebookで、ある友達が書いていたことなのだけど、留学先で、みんなが優しくしてくれるのが不思議だった、と。自分はそんな風に優しくされるに値しないのに、と思っていたという。これ、ものすごく、よくわかるのだ。

オーベルジュのみんなは、よく知らない人間、しかも言葉もよくわからない曖昧な日本人に対して、無条件に親切にしてくれて、何でも差し出してくれた。
この超弩級の優しさに触れたことで、なんだか私は相対的に、自分の価値に自信を無くしてしまった。
そんなこと言うのは変だよ、とオーベルジュのみんなは言うだろう。
 だけど、私には、同じだけ感動を伴う優しさを、どのようにお返ししたらいいのか、まったくわからない。
ああ、そうか、お返しのしようがないという、この罪悪感なのか。

それで少し思いついたのだけど、この感情は、両親や祖父母と離れたときに似ているかもしれない。
お礼のしようがないくらいお世話になった人との、別れ際。

旅で少しすれ違った人とは違う。私と息子は、彼らと、大きな家族のように生活をさせてもらったので、家族と離れたような寂しさを感じているんだわ、私は、
なるほど。
やっぱり書いてみると、気持ちの整理がつくものだな。

A子さん、わいやん、オレリア、PJ、Louis、タティ、ジョナタン、ハリード、ロベール・・・みんなみんなありがとう。
いや、もう、ありがとうとしか言えないです。どうかして気持ちを伝えるには、フランス語をもっと頑張るしかない、んだな・・・。

パリへの4時間は、長かったはずなのだけど、ほとんど記憶に残っていない。
たぶんそれくらい、ぼんやりしていた。

すっかり夜も更けた22時近く、パリに到着。

ものすごく重いスーツケースに、キャリーバッグ、そして幼い息子を抱えた私にとって、R子さんのお迎えは天の助けだった・・・。


次回、子連れフランス旅日記<パリ・アルザスで完結編>、お楽しみに!!