2011年4月22日金曜日

たこの踊り食い

GWまで、ふたたび名古屋で疎開生活をしている。
名古屋は揺れないし、節電もしていないからやっぱり生活しやすい。
千葉ではついに母乳から放射能が検出されたし、困ったもんだ。




昨夜は名古屋で情報誌の編集長をしている長ぴょんの結婚おめでとう飲み会で、大須の万松へ行った。
たこの踊り食いというのを体験したけど、かなりえげつない見た目だった。
吸盤が皿にくっついて、なかなか取り出せない。
口の中にくっついたらいやだなと思って、すぐに噛み砕くから、味わいはよくわからない。
醤油か酢味噌で食べろと言われたが、その酢味噌が赤いところに、名古屋を感じた。


今日は会社の元同僚、ジュンコがお昼休みに遊びに来てくれて、ランチをする。
会社の近所の韓国料理屋で、スンドゥブとチャプチェの定食。
常連のジュンコのために、どちらのメニューも倍の量出してくれて、お腹いっぱいになった。
その店のオモニたちは、先日石巻へ炊きだしのボランティアへ行ったそうだ。
現地には食べ物よりも風呂を与えてあげないとだめだと思った、と言っていた。


その後コメダへ行って、アイスココアを頼んだら、こんなに山盛りのソフトクリームがのっていた。
「鼻からすすってるように撮って」と言われたけど、うまく撮れなかった、ごめん、ジュンコ。
アップしちゃうよ。

2011年4月3日日曜日

ウィルキンソンのジンジャーエール



実家での疎開生活から、いったん市川に戻ってきた。

原発問題が長引いているけど、いろいろとこちらでやることもあるし、2週間ほどしたらまた帰省する予定。
市川は乳幼児の水道水摂取が規制されているので、水にだけはきをつけようと思う。

べつに飲んでもいいんだと言ったり、だめと言ったり、本当のところ、どうなんだろう。
買いだめはいけないなどといいながら、こんな状況で規制された水道水をがぶがぶ飲む妊婦なんているだろうか。
どうせ自己責任ということなんだろうから、自分で決めるしかないんだな。

実家から水も送ったし、定期購入している水も届いたけど、念のため今日はコストコへ買い出しに行った。
コストコにも炭酸水しか売っていなかったが、炭酸水が好きなので、サンペレグリノとクリスタルガイザーをそれぞれ1パックずつ購入。

そして最近はまっているウィルキンソンのジンジャーエールも1ケース買った。
これがビール代わりにうまい。
ビールみたいにたくさん飲めないので、コップ1杯で満足できる。

ほか、ダンナのためのノンアルコールビールや肉類など、ひととおり買い込んで帰宅。


それにしても、料理に使う水に悩む。
炊飯、みそ汁は、まあ、ミネラルウォーターを使う。
生春巻きを戻すのは、浄水器を通した水にした。
野菜なども洗うのは水道水だけど、最後に浄水にくぐらせる。
しかしこれもどんなもんだろう、あまり意味はないかも。聖水をかけているような感じ、もう自己満足の世界だな、こりゃ。


納豆にはレシチンや鉄分が豊富で妊婦にいいというから、よし毎日食べるぞと意気込んでいたら、関東から納豆が消滅していた。
ないと知るとなぜこんなに食べたくなるのだろう。
今朝は冷凍していた納豆を惜しみつつ食べた。


たぶん疎開をした半月前より、今のほうがよっぽど放射能危機なのに違いないけど、なんだろう、この日本全国に漂う「もう慣れました」感は、私自身もそうだけど、これってほんとに恐ろしい。

2011年3月22日火曜日

シロノワール




平穏な名古屋生活が続く。
この週末には塩竃神社へ腹帯のおはらいに行った。
ダンナも新幹線でやってきて、私の実家に2泊。

昨日は夕方、大須へ遊びに行って、コメダで兄とお茶。
大好きなシロノワール(ミニ)を食べてご満悦。

非災害地で、募金のために街頭に立つ人がいるけど、その時間をつかって働いて、さらにお金をつかって経済をまわせ、と、経営者の兄は言っていた。ほんとにそうだなって思う。

ホリエモンがはじめた募金活動について、手数料はどうなるとか文句をツイッターに書きこんでいる人がいて、「だったら募金なんてすんなよ」とホリエモンは怒っていたけど、それもまったくそのとおりだなって思う。

とりあえずマトモに働ける人は働いて、ふつうに生活することがいちばん大事なんだろう。

大須へ行ったあとはダンナを名古屋駅へ送っていった。
エスカの山本家で味噌煮込みを食べて別れる。

実家暮らしは快適だけど、やっぱり何か落ち着かない。
満腹感と飢餓感が複雑に入り混じってお腹が気持ちわるいし、精神的には、自分の立ち位置がよくわからないような感じがする。
大学生のときにホームステイして3日目くらいに感じたのと同じ感覚だ。これって何なのかな。
はやく元の生活に戻って、自分のベッドで寝たいなあ。

2011年3月16日水曜日

今日から疎開

原発、本当に、心配だ。
使用済み燃料が冷えるまで3、4年かかるため、格納庫の上に置いてあるって聞いて、びっくりした。
じゃあ、いま現在アツアツの燃料棒は、どうなっちゃうんだろう。
政府も、東電も、官僚も、自衛隊も、大揉めなのは、醜い。そのうち人災と言われるんじゃないだろうか。

とにかく、もう大丈夫と太鼓判を押してもらえる(誰に!?)まで、妊婦はとにかく遠のいたほうがいいと判断した。これから新幹線で名古屋に向かう。

南相馬の幼馴染も、福島空港から無事脱出し、実家に戻ったと連絡があった。
ほんとによかった。

明日からは名古屋の会社に通勤。
残していく夫は心配だけど、とにかくお腹の子供を安全な状態に置けることに安堵している。
戦時中に疎開をした人たちも、きっとこんな気持ちだったんだろうと想像する。

被災地の人たちが早く救われますように。
一刻も早く私たちにも元の生活が戻ってきますように。

2011年3月13日日曜日

大渋滞の末

金曜日の地震、みなさん御無事でしたか。
私は南相馬にいる幼馴染と連絡がとれず心配しています(生きていることは確認済)。
家族で無事に暖かいところにいてくれますように。

金曜日当日は、朝から家のことで夫と鎌倉に行っていた。
午前中鎌倉裏駅にある銀行で用を済ませ、そこに車を置き、江ノ電に乗って腰越へ。
建築途中の我が家を見に行って、大工さんたちに挨拶をする。
そのあと、湘南江ノ島駅の近くにあるイタリアン「クラリタ・ダ・マリッティマ」でランチ。
これはすこぶる美味だった。

それから江ノ島水族館へ行ったが、入館料が高かったので、また子どもと一緒にこようかということになってすぐに駅へ戻ろうとしたそのとき、橋の上で被災。
信号機がブンブン揺れて、立っていられなかった。
しかし横揺れだから、たいしたことはないだろうと、おさまってから小田急の駅へ歩くと、電車はストップ。
何度も余震が来て、そのへんで立ち往生している人たちと話したりした。
地元の店の人たちが水路の水位を測り、「30センチ低くなってる。津波がくる」とおののいている。
だんだん怖くなってきた。

この調子では江ノ電もダメだろうと、いちおう行ってみたが、復旧のメドたたず。
そりゃそうか、あんな海沿いの電車、動かないにきまっている。
とりあえず車までなんとか戻らねばと、歩いて鎌倉の駅まで向かうことにした。
しかし海沿いを歩くのは怖かった。気のせいか、水位が上昇している気がするし、さっきまで青々して見えた海が黒々してみえる。ドキドキしながら、大きくなってきたお腹をささえ、トコトコと七里ガ浜まで歩いた。
プリンスホテルの近くでようやくタクシーを捕まえることができて、駅へ向かった。

地震のせいで、鎌倉一体、大停電になっていた。
信号機はすべて機能を失い、地元の人々がボランティアで手信号をはじめていた。
日本人って、なんてすばらしいんだろうと感嘆しつつ、そうとう混んできたので、手前で降りてまた歩く。
コンビニに寄ったら、レジの人たちは計算機を手打ちしていた。誰も万引きしていないようだったので、またすごいな、と思ったりする。

いざ駐車場へ戻ったら、停電なもので車両止めのバーが降りない。
銀行の人たちが、バーに板をかませてくれて、なんとか脱出成功。
さっさと帰ろう、と車を走らせはじめたのが夕方5時。やはり大渋滞。鎌倉駅から朝比奈インターまで、なんと2時間かかった。

やっと高速道路に入れた、よかった、と思ったつかのま、通行止めになっていて、並木で強制的におろされてしまう。地理にうとい横浜から、下道で千葉県まで帰ることになってしまった。
この時点で、こりゃ~マズイぞと思った私は、羽田近くに住むT子さん宅に連絡。泊めてもらう約束をして、とにかくそこまでは行こうと車を走らせた。

横浜市内は、これまでに経験したことのないくらいの大渋滞。
信号が10回以上青になっても、1センチも進まないということもあった。
深夜になっても、なかなか横浜を脱出できない。
東京方面から、人がたくさん歩いてきた。コンビニにトイレに寄ったら、ラックはガラガラ。おにぎり、パン類がほとんど売り切れ。携帯充電池も、どのコンビニにもなかった。
そのうち夫が腹がへったと言いだして、買ってきたのが、サッポロポテト、ベビースター、塩タンスモーク。
もうこのセレクトには絶句。チョコレートとか、なんか、血糖値上げるものはないのかと言ったら、「塩けが好きだから」というトンチンカンな答え・・・。
私はお腹がすかなかったから、サッポロポテトを少しだけ食べた。

えんえんゆっくりと進んで、T子宅に到着したのはなんと朝方4時すぎ。
11時間もかかったことになる。
ヘトヘトだったが、頭は妙に冴えてしまって、なかなか寝付けなかった。

翌朝、おにぎりやサラダなどをごちそうになり、まったりしていたら、T子宅のご主人が幕張からやっと帰宅。彼はメッセのイベント会場に行っていて被災し、帰宅をあきらめて会社の寮の談話室に泊めてもらったという。幕張からなかなか電車が進まなくて、時間がかかったと言っていた。
お昼にラーメンまでごちそうになって、ようやく出発した。
市川まで、これまた3時間以上かかって、なんとか帰宅・・・。

家の中では、食器棚からワイングラスが数個落ちて、ガラスがとびちっていた。
あとは本が散乱していた程度。
食器棚からすべての食器を出して、洗い直し、しまいなおした。
まあ、大掃除ができてよかった、この程度ですんだのだから。。と思うことにする。

妊婦としては、やはり原発の事故が気になっている。
実家に避難したらどうかとも言われたが、何となくあせって動いてはいけない気がする。
テレビも酷いから、あまり見ないようにして、音楽を聴いている。

2011年2月13日日曜日

ニチレイの今川焼




つわり生活も終わりに近づきつつある今日このごろ、素晴らしい食べ物に巡り合った。
ニチレイの冷凍食品、「今川焼」。

パッケージより>れんげはちみつを使った生地であずきあんをふっくら包みました。
なるほど、このふっくら加減のひみつはれんげはちみつでしたか。

パッケージより>2008年度モンドセレクション銀賞受賞。
金賞でもよかったんじゃないですか。

とにかく生地も柔らかくてこしあんのつまり具合もぎっちりしていて、甘さもちょうどよくて、うまい。

これを半分に切って、いちご大福よろしくいちごを押し込み、そして、ヨーグルト(水切りしてあるとなお良い)をのせていただくのが、マイブームとなった。
ぜひお試しください!!

ところで今川焼はどうして今川焼というんだろう。
私が子どもの頃の記憶では、これを地元中部では「大判焼」とか「御座候」とか呼ばれていた。
関西では「回転焼」と呼ばれていたような気がする。

それで調べてみたら、
江戸時代中期の安永年間に、神田「今川橋」近くの店からこの種の焼き菓子が売り出された。
とウィキにあった。
勝手に関連を想像していた今川義元とは何の関係もないらしい。

2011年2月9日水曜日

味覚障害

奇跡の妊婦生活も4か月目・・・。

吐き気や胸やけはおさまり、つわりも落ち着いたかに思えたけれど、口の中が苦くて酸っぱくて何を食べてもおいしくない状態が続いている。

これまで1日のうち8割方、食べもののことを考えて生きてきた私にとって、これは拷問に近い。

何を食べても、味がするのは最初の2割ほど。すぐに味覚が鈍磨して、かと思うと、苦い唾液が口の中に広がり、もう、雑巾を押し込まれたような不快感に支配される。

だからしばらくおいしいものを食べるということをあきらめようと思う。
こんな状態で、大好きなインド料理やイタリアンやすしなんかを食べにいったところで、お金のむだだと気付いた。

テレビで楽しそうに飲み食いをしているシーンを見ると、なんというか、とてもさみしい気持ちになる。
「私にもあんな時があった」
と遠い目をしてしまう。

いやいや、さんざん食べたじゃないか、飲んだじゃないか。
酒なんて、ふつうの女性の一生分はもう軽く飲んだじゃないか。
そうやって自分をなぐさめている毎日。
この心理状態、まさに失恋直後の喪失感。

きっとまだ食べなくてもいいくらい、私の身体には蓄積された栄養があるのだと思う。
我が子よ、どうぞそれを吸い取ってくれ。カピカピになってもいいから。

そんなわけで、なかなかこのお食事日記の更新ができません。
ああ、心から「うまウィ~」と叫べる日はいつなのか!
寝て待つとします。