2016年7月22日金曜日

子連れフランス旅日記  <友達づくりは難しい?編>

くーくー!

Cou cou! 子供に「元気?」「やっほ〜」程度の意味だそうです。

夫が無事帰国し、私と息子はLanuejolsの広〜い農家で数日過ごすことに。
昼間はCamprieuのオーベルジュ周辺で過ごし、夕方になるとこの農家に戻ってきて、2人で夕飯。


 これ、もう夜の9時くらい。明るい・・・。

天気がよくて気持ちがよかったある晩、外のテーブルでディナーをすることにした。
開放的な気分で、息子もご機嫌。
「オーベルジュ〜の肉♪肉♪うまい♪」
と自作の歌に合わせて、踊り狂っていた。

私は、鶏肉の煮込みをつまみに、ビールとワインをぐびぐび。
「太陽がさあ、沈んでも明るいお空のことをマジックアワーっていうんだよ。魔法の時間ってことね」
私が言うと、息子が、
「魔法の時間だったら、お願いごとしたらいいね!」
と言い出した。

そこで、暮れ行く空に向かって、2人で順番に大声でお願いごとを叫ぶことにした。
「ずーっと健康で、楽しく過ごせますように!」
私が叫ぶと、息子は、
「フランス語がわかるようになりますように!」
・・・そうか、偉いぞ! がんばろう!
 前向きな気持ちがあれば、きっと大丈夫。嬉しい気持ちになった夜だった。

いい顔して!と言うと、必ず変顔をする。

Camprieuのお祭りで、私はママ友をゲットした。
デルフィーヌは、10歳と6歳の息子を持つ、優しいママだ。
次男のロィックは、6歳にしては幼くて、のんびりした感じ。
息子とは意気投合して、手をつないで公園を走り回って遊び始めた。
電子辞書を片手に、なんとか主婦トークを繰り広げ、無理やり「らんでぶー!らんでぶー!かん!?」と、遊びにいく約束を取り付けるオバサンのわし。
さっそく翌日の午後、お宅へお邪魔することになった。

デルフィーヌのお家は、田舎ならではのドでかさで、どこまでが庭なのかわからない。
名古屋名物味噌煮込みうどん(すがきやのインスタントね)を持参して、上がり込んだ。
息子とロィックは表へ出てキャーキャー遊びはじめ、胸を撫で下ろす私。
うどんのお礼にと、デルフィーヌが手作りのパテをくれた。イノシシとトリュフで作ったという。海老で鯛を釣るとはこのことだった。

そのうち、デルフィーヌの親戚たちがやってきて、子供も増える。
ロィックは気心知れたいとこたちと、フランス語で話すほうが楽しくなって、自然と息子はひとりぼっちに。
仕方あるまい。


なんとなく絡んだり、一人だったり。


息子は一人でトランポリン。

ふだんどおりという感じで、遊ぶいとこ同士。

大人のほうも同じで、それこそいろいろ気を遣って日本のことを聞いてきてくれたりするのだけど、身内のトークで盛り上がると私は圏外。
よくわからんのでニヤニヤするしかないThe日本人。Le日本人というべきかw

疲れてきて、
「帰ろう」
と私が息子を促すも、ゴーカートみたいなので遊びはじめたフレンチチームを見て、ものすごくうらやましくなってしまったらしい。
「あれに乗りたい。まだ帰らない」
だ、だわね〜。
私が行くも、日本でいう「入〜れ〜て〜」すらよくわからないので、指で示して、日本語で「この子も乗せてやって〜」と言ってみるが、
「Non!」
つ、通じてる・・・

そのうち、ゴーカートは電池切れ。ガレージでチャージされて、息子に乗る機会はまわってこなかった。


翌日は、隣町のプールへ、デルフィーヌが連れていってくれた。
私は勝手に、寒い地域だから屋内プールだとばかり思って行ったら、思い切り屋外プール。
日差しはあるけど、水は冷たい。

ロィックが毎日受けているという、1回30分間10€の水泳レッスンに、息子も入れてくれないかと頼んでもらったが、言葉もわからないので危ないということで断られた。
私は月に一度の理由で、一緒にプールに入ることができず、プールサイドで見守る。


黒人、次に息子の順で黒かった。こちらでもよく日焼けしている。



デルフィーヌが軽くレッスンしてくれたが、すぐに「もういい」と息子。

プールサイドで、ロィックとジグソーパズルの取り合いになってしまい、息子が勝手に遊びはじめたものだから、ロィックはカンカン。
何しろそのジグソーパズルは、アエロフロートの機内でもらった土産で、息子がいらないからと言ってロィックにあげたものだったからだ。
くれたんちゃうんか、という感じだったろう。プンプン怒って、その後は息子と接触したがらなくなってしまった。
デルフィーヌが、スマホの翻訳ソフトを使って、説明してくれた。
「彼ハ特別ナ漢字ヲ持ッテイマス。」
な、なんじゃそりゃ? ふたたびやり直す。
「彼ハ強烈ナ個性ヲ持ッテイマス。」
な、なるほど。

その後、週に一度行われているというマルシェへ、プールから歩いて行った。
そんなに怒っているとも知らない息子、ロィックにじゃれついて、手をつなごうとするのだけど、振り払われてしまう。繰り返しするので、わーっと恫喝されてしまった。
凹む息子。
「ほら、わからないんだから、しょうがないよ。ほかの人がいやがることは、やめようね」
私が言うと、泣きながらゆっくりと歩いていた。

こういうのを見るのは、親としてものすごく辛い。
こんな諍いは日本人の子供同士であっても、よくあることなのだけど、言葉がマイナーであるという、それだけで弱者になる。
「くやしい」
息子が言う。
「くやしいねえ」
手をつないで歩いた。



マルシェには、ワインやチーズ、はちみつなど地元の製品や、おもちゃなどいろいろなものが売っていた。

タイの布でできたおもちゃをほしがる2人。
ロィックは、5€のヘビを買ってもらった。
息子は、12€のドラゴンをほしがった。タイなら何バーツだろう。激安なはずだけど、南仏くんだりまで来ると、こんなに高いんだなあ。しかし、さきほどの涙にほだされて、つい、買い与えてしまった。

そのドラゴンを「オレの弟にする」と言って、毎晩一緒に寝ている。
こんなものでも心の頼りになるのなら、安い買い物だったと思った。

帰りの車のなかでも、息子たちはほとんど口をきかないままだった。
まあ、口をきいたところで何もわかりあえないのだから、当たり前か。
私とデルフィーヌも、なんとなく気まずい雰囲気になったが、
「明日もプール行く?」
と言ってくれた。
「明日はちょっと予定があるから」
別に予定はなかったが、そんなふうに断ってしまった。弱いなあ、私は。
いずれ、また、こちらから声をかけてみよう。

苦い気持ちのまま、オーベルジュに帰ってくると、W君が息子と遊んでくれた。
「年下の面倒をみるのが君の仕事だ」
と家族に説得されたみたい。
面倒そうな顔も時折しながら、それでも息子と一生懸命遊んでくれた。
息子は嬉しそうだった。

私は、オーベルジュの洗濯や、キッチンでじゃがいも、桃などをカットする手伝いをした。
息子の笑い声を聞きながら、何かをするのは、とても気分が良かった。

そして、私たちは、誰もいない農家から、オーベルジュにふたたび寓居を移した。
これから、人の出入りの多い場所で、思い切りフランスの田舎を満喫しようと思う。

パリからやってきた、オーベルジュのお客さんが、息子を見て言った。
「見ていてごらん。毎日、少しずつだと思うかもしれないけど、あっという間に彼はフランス語を習得するよ。あなたより早くね」

まだ2週間にもならない。
毎日、少しずつ。
焦ってはいけない、と自分に言い聞かせる。

いまはもう深夜だけど、まだ外のテーブルでは、お客さんがワインを飲んで話しこんでいる。
窓の外から聞こえるフランス語の響きを心地よく感じながら、息子の寝顔を眺めている。



0 件のコメント:

コメントを投稿