2011年3月13日日曜日

大渋滞の末

金曜日の地震、みなさん御無事でしたか。
私は南相馬にいる幼馴染と連絡がとれず心配しています(生きていることは確認済)。
家族で無事に暖かいところにいてくれますように。

金曜日当日は、朝から家のことで夫と鎌倉に行っていた。
午前中鎌倉裏駅にある銀行で用を済ませ、そこに車を置き、江ノ電に乗って腰越へ。
建築途中の我が家を見に行って、大工さんたちに挨拶をする。
そのあと、湘南江ノ島駅の近くにあるイタリアン「クラリタ・ダ・マリッティマ」でランチ。
これはすこぶる美味だった。

それから江ノ島水族館へ行ったが、入館料が高かったので、また子どもと一緒にこようかということになってすぐに駅へ戻ろうとしたそのとき、橋の上で被災。
信号機がブンブン揺れて、立っていられなかった。
しかし横揺れだから、たいしたことはないだろうと、おさまってから小田急の駅へ歩くと、電車はストップ。
何度も余震が来て、そのへんで立ち往生している人たちと話したりした。
地元の店の人たちが水路の水位を測り、「30センチ低くなってる。津波がくる」とおののいている。
だんだん怖くなってきた。

この調子では江ノ電もダメだろうと、いちおう行ってみたが、復旧のメドたたず。
そりゃそうか、あんな海沿いの電車、動かないにきまっている。
とりあえず車までなんとか戻らねばと、歩いて鎌倉の駅まで向かうことにした。
しかし海沿いを歩くのは怖かった。気のせいか、水位が上昇している気がするし、さっきまで青々して見えた海が黒々してみえる。ドキドキしながら、大きくなってきたお腹をささえ、トコトコと七里ガ浜まで歩いた。
プリンスホテルの近くでようやくタクシーを捕まえることができて、駅へ向かった。

地震のせいで、鎌倉一体、大停電になっていた。
信号機はすべて機能を失い、地元の人々がボランティアで手信号をはじめていた。
日本人って、なんてすばらしいんだろうと感嘆しつつ、そうとう混んできたので、手前で降りてまた歩く。
コンビニに寄ったら、レジの人たちは計算機を手打ちしていた。誰も万引きしていないようだったので、またすごいな、と思ったりする。

いざ駐車場へ戻ったら、停電なもので車両止めのバーが降りない。
銀行の人たちが、バーに板をかませてくれて、なんとか脱出成功。
さっさと帰ろう、と車を走らせはじめたのが夕方5時。やはり大渋滞。鎌倉駅から朝比奈インターまで、なんと2時間かかった。

やっと高速道路に入れた、よかった、と思ったつかのま、通行止めになっていて、並木で強制的におろされてしまう。地理にうとい横浜から、下道で千葉県まで帰ることになってしまった。
この時点で、こりゃ~マズイぞと思った私は、羽田近くに住むT子さん宅に連絡。泊めてもらう約束をして、とにかくそこまでは行こうと車を走らせた。

横浜市内は、これまでに経験したことのないくらいの大渋滞。
信号が10回以上青になっても、1センチも進まないということもあった。
深夜になっても、なかなか横浜を脱出できない。
東京方面から、人がたくさん歩いてきた。コンビニにトイレに寄ったら、ラックはガラガラ。おにぎり、パン類がほとんど売り切れ。携帯充電池も、どのコンビニにもなかった。
そのうち夫が腹がへったと言いだして、買ってきたのが、サッポロポテト、ベビースター、塩タンスモーク。
もうこのセレクトには絶句。チョコレートとか、なんか、血糖値上げるものはないのかと言ったら、「塩けが好きだから」というトンチンカンな答え・・・。
私はお腹がすかなかったから、サッポロポテトを少しだけ食べた。

えんえんゆっくりと進んで、T子宅に到着したのはなんと朝方4時すぎ。
11時間もかかったことになる。
ヘトヘトだったが、頭は妙に冴えてしまって、なかなか寝付けなかった。

翌朝、おにぎりやサラダなどをごちそうになり、まったりしていたら、T子宅のご主人が幕張からやっと帰宅。彼はメッセのイベント会場に行っていて被災し、帰宅をあきらめて会社の寮の談話室に泊めてもらったという。幕張からなかなか電車が進まなくて、時間がかかったと言っていた。
お昼にラーメンまでごちそうになって、ようやく出発した。
市川まで、これまた3時間以上かかって、なんとか帰宅・・・。

家の中では、食器棚からワイングラスが数個落ちて、ガラスがとびちっていた。
あとは本が散乱していた程度。
食器棚からすべての食器を出して、洗い直し、しまいなおした。
まあ、大掃除ができてよかった、この程度ですんだのだから。。と思うことにする。

妊婦としては、やはり原発の事故が気になっている。
実家に避難したらどうかとも言われたが、何となくあせって動いてはいけない気がする。
テレビも酷いから、あまり見ないようにして、音楽を聴いている。

2011年2月13日日曜日

ニチレイの今川焼




つわり生活も終わりに近づきつつある今日このごろ、素晴らしい食べ物に巡り合った。
ニチレイの冷凍食品、「今川焼」。

パッケージより>れんげはちみつを使った生地であずきあんをふっくら包みました。
なるほど、このふっくら加減のひみつはれんげはちみつでしたか。

パッケージより>2008年度モンドセレクション銀賞受賞。
金賞でもよかったんじゃないですか。

とにかく生地も柔らかくてこしあんのつまり具合もぎっちりしていて、甘さもちょうどよくて、うまい。

これを半分に切って、いちご大福よろしくいちごを押し込み、そして、ヨーグルト(水切りしてあるとなお良い)をのせていただくのが、マイブームとなった。
ぜひお試しください!!

ところで今川焼はどうして今川焼というんだろう。
私が子どもの頃の記憶では、これを地元中部では「大判焼」とか「御座候」とか呼ばれていた。
関西では「回転焼」と呼ばれていたような気がする。

それで調べてみたら、
江戸時代中期の安永年間に、神田「今川橋」近くの店からこの種の焼き菓子が売り出された。
とウィキにあった。
勝手に関連を想像していた今川義元とは何の関係もないらしい。

2011年2月9日水曜日

味覚障害

奇跡の妊婦生活も4か月目・・・。

吐き気や胸やけはおさまり、つわりも落ち着いたかに思えたけれど、口の中が苦くて酸っぱくて何を食べてもおいしくない状態が続いている。

これまで1日のうち8割方、食べもののことを考えて生きてきた私にとって、これは拷問に近い。

何を食べても、味がするのは最初の2割ほど。すぐに味覚が鈍磨して、かと思うと、苦い唾液が口の中に広がり、もう、雑巾を押し込まれたような不快感に支配される。

だからしばらくおいしいものを食べるということをあきらめようと思う。
こんな状態で、大好きなインド料理やイタリアンやすしなんかを食べにいったところで、お金のむだだと気付いた。

テレビで楽しそうに飲み食いをしているシーンを見ると、なんというか、とてもさみしい気持ちになる。
「私にもあんな時があった」
と遠い目をしてしまう。

いやいや、さんざん食べたじゃないか、飲んだじゃないか。
酒なんて、ふつうの女性の一生分はもう軽く飲んだじゃないか。
そうやって自分をなぐさめている毎日。
この心理状態、まさに失恋直後の喪失感。

きっとまだ食べなくてもいいくらい、私の身体には蓄積された栄養があるのだと思う。
我が子よ、どうぞそれを吸い取ってくれ。カピカピになってもいいから。

そんなわけで、なかなかこのお食事日記の更新ができません。
ああ、心から「うまウィ~」と叫べる日はいつなのか!
寝て待つとします。

2011年1月27日木曜日

billsであさごはん



今日は朝から新居の土地で地鎮祭。

少し早く出て、七里ガ浜のbillsに寄り、海を眺めながら朝ご飯。
なごむなあ~。

残念ながら、憧れのリコッタパンケーキを頼んだが、最近何を食べてもまったくおいしく感じられない私の舌は、これをも拒否・・・。メープルシロップをかけまくったけど甘さが足りない気がするし、なんだか損した気分になった。
早く何でもおいしく食べられるようになるといいなあ。

地鎮祭では、ダンナがダッフルコートの上から白い羽織のようなものを着せられて、ガンダムのようだった。
神主さんが持参した野菜などのお供えを、ビニール袋に入れて持ち帰っているのを見て、商売やね~と思う。

近隣のみなさんに工事についてのごあいさつをしてまわったが、お年寄りが多かった。こちらの豪邸も相続税を払いきれずに手放されるのでしょうね・・などと余計な心配。

いよいよ着工。
無事に完成しますように!

2011年1月1日土曜日

あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。

昨年は怒濤の1年でした。
無事に年が越せたのも、皆々様のおかげです。
遅ればせながら昨年を1文字で表すと、2パターンあって、「命」と「謝」であります。






今年は初めて、実家に帰らないお正月を迎えた。みごとにTV三昧。
レコ大も、紅白も見た。

写真は昨夜の夕飯。もうすでにおせち。ローストビーフしか作ってません。
あとは買ってきて詰めただけ。
そして手巻き寿司。ネタは中トロとイクラだけ。

それでつくづく思ったけど、おせちとは、砂糖を大量に使う料理が多いなあ、ということ。
3日間食べるからかな、やっぱり。

ダンナもお酒を飲まないので、あっという間に食事は終わり、年越し蕎麦。
今年はへぎ蕎麦にしてみました。

今日は着物で初詣。
夜はライブを見に渋谷へ。
初めて過ごす都会のお正月に、ワクワク!

2010年12月9日木曜日

名古屋、中津川、京都、大阪

今週は月・火と名古屋、水は大阪出張の予定だったのが、なんとも見えざる力で思いがけない「ツアー」になってしまった。

このあいだの日曜日から実家に帰り、翌日は名古屋に出社したが、この日の朝、長患いしていた中津川の叔父が亡くなったと連絡があった。

叔父さんは17年前、45歳でくも膜下出血で倒れ、入退院を繰り返していたが、晩年はほとんど植物状態だった。叔父さんの末娘は、ものごころがついたころから叔父さんが寝たきりだったために、もの言わぬ弟のように思っていたと言っていた。確かに子どものころの彼女はいつも叔父さんのベッドの脇に居て、叔父さんをなでたりしていたっけと思い出す。
叔父さんは長男だったから、お嫁さんは、そのまま子育てと、私の祖父母の面倒を本家で見つづけてきた。子どもたちも巣立ってしまい、今は夫不在のアウェーな生活。しかも祖母は病気でワガママになってしまったし、祖父はボケかけ。女の人生とは、ああ、とつくづく思う。

ということで、通夜と葬式のために急きょ中津川へ行くことになった。
きょうだいである母は仕事を朝から休んで先に行き、私は父と弟とともに仕事後に追いかけることに。
弟が車を出してくれるというので、思いがけない3人の旅となった。
このメンツで行動するなんて、何年ぶりのことだか、もう思い出せない。なんだか変な気分で車に乗り込む。
途中で小バラがすいたとコンビニに寄り、弟はおにぎり2つ、メンチカツに午後の紅茶。私はゆで卵、おにぎり1つ、伊藤園の缶入り味噌汁。父はゲロ甘の菓子パン2個とジャンボフランクを買って、食べながら移動した。

母方の家の葬儀は神道で行われる。死者に捧げる祝詞、とか神主さんが高らかに読み上げる。お焼香のかわりに、榊を捧げる。このところこちらの家の葬式は出ていなかったので、見るものすべてが新鮮だった。

通夜の後の宴会は賑やかで、親族お疲れ会の趣。久しぶりに顔を合わせた親族と、話題はもっぱら私のダンナの事故のこと。どうだったの、よかったねえ、大変だったねえ。いや、大変だったけど、もう正直、あっという間に嵐が去ったみたいで、よくわからんのよ。云々。

それにしても納棺された叔父さんの顔は強烈だった。喉にずっと管を通していたため、口が閉じられなかったのだという。咆哮しているような顔で、かわいそうだった。
「あんな顔を見られるなら俺は見られたくない」
と父が言ったけど、その通りだと思った。
とにかく、ようやく楽になった叔父さん、ご冥福をお祈りします。

その晩は従妹の家に泊めてもらい、2時頃までビールを飲む。ふだん飲まない弟も飲んだ。
寒いので、こたつの周囲にふとんを出してもらって、父と弟、私の3人で円を描くように並んで寝た。

翌日は葬儀の前に、中津川の駅前にあるショッピングモールへ行き、すがきやでラーメン。
野菜たっぷりラーメンという、見慣れぬメニュー、よせばいいのに大盛りで注文。
タンメンみたいなかんじだった。でもすがきやのスープに野菜はあまり必要ないな。味がボケちゃう。
人の少ないフードコートで喪服の3人が麺をすする姿は、傍目にもずいぶんさみしいものだったろう。

葬儀の後、中津川から直接関西へ向かおうと思っていたのだけど、水曜日に予定されていた大阪の仕事が突然翌日に繰越になったので、また弟の車に乗って、実家に帰った。
晩は葬式でもらった仕出しの残りをつついてビールを飲む。

翌日再び名古屋で仕事をこなして、お昼は名古屋のライター、よっちゃんとイタリアンへ。
これがまた残念だった。前菜も長らくの作り置き、パスタは生クリームであえただけ、メインの海老は350円居酒屋のタパスみたいだった。デザートのパンナコッタもゼラチン多すぎ、ゴム風情。
「名古屋はおいしいとこないよ」
とよっちゃんが大きい声で言うもんだから、シーッとたしなめる。名古屋でグルメ記事書きまくっているあなたが言ったらリアルすぎるでしょう。不遜ながら、東京で仕事をするようになって、私も本当によくわかる、名古屋って鰻くらいしかうまいものない。
ダメだこりゃ、と地元を憂いて、京都へ向かった。

京都では、時間があれば和装小物でも見てまわろうと思っていたのだけど、結局日が暮れてから到着してしまったので、食事に出かけただけになってしまった。
出町柳のもつ鍋屋さんで、にんにくたっぷりの白味噌もつ鍋。だくだく汗かいた。やっぱにんにくだわ♪
そのあと、近所の小さなワインバーに連れていってもらって、ゴルゴンゾーラのチーズケーキやナッツを食べながらワインを飲む。京都って小ぢんまりとしたいいお店が多くてうらやましいなあ、名古屋とはえらい違いだ。東京よりも断然安いし、暮らしにお店がなじんでいるというか。

宿泊させてもらう五条新町の竹内家に帰って、3時すぎまで飲んだりしゃべったり。
翌日が仕事でなければいいのに、と時計をにらみつつ、ついつい楽しいので寝るタイミングを逸してしまう。
は~、人の家ってなんて楽しいんだろう。あ~去りがたし。

そしてようやく本日のこと、
眠気を押して、朝から心斎橋で撮影の立会いをし、昼前に終わったので、なんばまで商店街を一人ぶらぶら歩いてみる。
大阪には去年も来たけれど、ミナミを歩くのは、15年ぶりくらい。ほんとに久々。
それにしても、なんというか、えらいさびれはりましたなあ~。人も活気も少なくて、あ、人がたまっていると思うとアジアからの観光客。大学生のころはあんなに華やかに見えたこの街が・・・そうですか・・・。
気を取り直してリサーチしておいたお好み焼き店、法善寺近くの「美津の」へ。

たまたまカウンターが1席だけぽっかりあいていたので、スッと入れたけど、すぐに長蛇の列が。
なんつーラッキーをかみしめつつ、待ってましたの本場のてっぱん!!
おもむろにグラスビールを注文し、選んだのは冬季限定、牡蠣の山いも焼。
ワーオ!



粉がいっさい入っていないという、とってもやわらかいお好み焼きなのです。
ふわふわして、焼けた部分はもちもちして、ソースも甘すぎず、かすかにゆずの香りがして・・・
う、うまい・・・
あー、誰かと一緒に来ておればなあ・・・粉とそば入りのお好み焼きと焼きそばも注文したのに・・・
一人じゃ1メニューが関の山・・・
すると隣に座っていたおばさん4人組が私の食べているものに目を付けて、同じものを注文。
味わいながら、私に頷きかけてくる。私も無言で頷き返す。
おいしいわね。ハイ、おいしいです。
これぞ、おばはん同士のテレパシー。

今月中、また大阪入りすることになりそうなので、今度こそいろんなてっぱんメニューをくいだおれるぞ、と決意しながら、お店を後にし、新大阪で551の豚まんとシュウマイのセットをぬかりなく買って、新幹線に乗り込む。

しかし関西はおいしい。
わが街ながら、中部はあまりおいしくない。
東京に戻ると、「ただいま!愛するグルメタウンよ」と感慨深かった。

とにかく、数日間でいろんな人に会い、たくさんの話ができた。
壮絶なる2010年をしめくくるにふさわしい、師走のできごと。

2010年12月5日日曜日

クリスマスリース

大阪で子育てに専念している元同僚のマッチが、クリスマスリースを贈ってくれた。
ドライフルーツがもりもりの、ずっしりしたリース。いいにおいがする。



小さいツリーをようやく今日、出した。
今年はツリーなぞ出すことはないかもしれないと思っていたのだけど。

無事に1年が終わりそうで、改めて皆々様に感謝をしたいと思う今日このごろです。