2016年7月16日土曜日

子連れフランス旅日記<出発編>

古い友人を頼って、もうすぐ5歳になる息子を連れ、南仏の田舎へ長期で旅に出ることにした。

本当は1年行きたかったのだけど、今はビザが難しい。とりあえず下見という感じで、行ってみることに決めて、ばたばたとパッキングしたのは前日。
詰めてみると、夏ということもあり、意外と荷物も少ないもので、 スーツケース2つ持つも、片方はスカスカしているほど。
本当に、こんなんでいいのかなあ、と思いながら、家族3人で、日曜の早朝に出発した。


「フランス、1時間で着く?」←東京にも着かないよw

 成田でも「もう着く?」着かないって。遠いから。

成田で荷物を預けるとき、片方のスーツケースが8kgの超過。
もうひとつのスーツケースに詰め替えるのも面倒なので、ヤマト運輸で段ボールを買って、息子の本や私の洋服などをボンボン入れて、息子名義でもう一つ荷物を作った。
これが、のちに、大変な目に遭うこととなる・・・(汗)。

今回のエアは、まさかのおそロシア航空、アエロフロート。
悪名高きこの飛行機を、私のフランス語のヴェロニク先生は、「サヴァ!」。なんでも、ストばっかりしているエアフラより、よっぽど安心できるんだって。

シェレメーチェボ空港まで、およそ10時間。
息子は、映画2本、ゲーム、パズルなどをして、いっこうに昼寝する気配なし。
到着30分前に眠りはじめ、モスクワでは機嫌最悪・・・・。

そういえば、モスクワ行きの機内で、「アーロと少年」を観ていた息子。
私は別の映画を観ていたので、ふと横を見ると、画面を見ながら号泣しているではないか。感受性が強いんだなあ・・・なんだか、この先が不安になる私。

モスクワでの滞在時間は1時間。トランジットは短くてありがたかったが、眠くてほぼ廃人の息子。が、がんばれ・・・

 先生の言う通り、悪くなかった、アエロフロート。機内食もまあまあ。ま、もちろんまずいけど。


パリに到着したのは20時くらい。
荷物を待っていると、ヤマト運輸の段ボール箱が流れてきた。
来た、来た、と思ってよく見ると、雑な私が作った箱とは、明らかに違う。ものすごくしっかりビニールテープで閉じてあり、そして、名前も、別人のもの。
「まさか・・・」
その、まさかであった。Keiko Watanabeと書かれたその段ボールを念のため引き取り、荷物が尽きるまで待っていたが、息子名義の段ボールは流れてこない。
「ケイコよ・・・持っていきよったな・・・」

いきなりのハプニングに、戸惑う私たち。
とりあえず、申告書には南仏で待つ友人の電話番号を記入して、歯がゆい思いで空港を出た。


 22時を過ぎてもまだ明るい、パリ。

空港内のホテルにしたら安心だったのだけど、値段は倍。
ケチ旅行なので、空港からナヴェットに乗って行くNovotelを予約してあった。
意外と慎重派の私、ホテルにメールをして、ナヴェットの乗り場もきちんと確認しておいた。おお、これだ、これだ、と、意気揚々と乗り込む私たち。

し、しかし、これが大間違い。
なんだか着かないな〜と思って、運転手にバウチャーを見せると、
「ノンノン!アナザーバス!!」
ええええ〜っっっ!?
なんで、私メールまでやりとりしたのに、嘘じゃん!?

運転手の言うままに降り、別のナヴェットを待つ。

 疲れはててよくわからん状態の息子。

「まだ着かないの・・・」
夫もあきれ顔。
「おかしいなあ、おかしいなあ」

で、あとから見たら、私、別の似た名前の系列ホテルにメールしてました。
ワハハ。
空港付近にはいくつもNovotelがありますので、皆さん、お気をつけください。ダッフンダ。

「いろいろあったなあ・・・」
当該ホテルに到着、憔悴しきった私と夫。時差ボケたかんじで、眠れるかなあ、と心配しつつも、その日はなんとか眠りについた。

 息子撮影、ホテル。ふつうに快適でした。

翌朝、少し早めに空港へ。
ひょっとして荷物が届いているかもしれない。何せ持ってった相手は日本人。
きっと届いているに違いない、そう信じて向かった。

空港では、アエロフロートのチェックインカウンターで聞くも、インフォメーションで聞くも、わからん、知らん、の連続。
方々たらい回しにされた末、途方に暮れる私。
しかし、荷物紛失の申告書の控えを出し、「あんたらがこれを私に書かせたんだから、これを扱う場所があるはずだろう!!」と何度も食い下がる私。
見かねて、通りかかった空港のインフォメーションの人が、「もう一つのインフォメーションに聞いてみようか?」と言って電話をしてくれた。

TGVの発車時刻まで、あと40分。
このとき、夫は息子と駅の近くで待機していた。
神よ・・・
祈りながら、電話の様子を待つ。

「ここから5分くらい歩いたとこにもう一つインフォメーションがあるから、行ってみて」
慌てて猛ダッシュ。ビーサンのペタペタした音が響き、皆が振り返る・・・。

目的の場所に到着すると、女性が、ああ、あんたね、という感じで、こっちこい、と、奥の部屋へ通してくれた。そこは、忘れ物センター的なところだった。
な、なぜ、すぐにここを案内してくれないのか!?
日本ではあり得ないこの対応。

「で、どこの飛行機?」
「アエロフロートだよ!!」
「証拠は?」
申告書の控えを見せる私。
「いや〜、ないね。届いてない」
よく読まずに、女性は言う。
「届いてたらまた連絡するわ」
「本当?緑と白の箱だよ?日本人が持っていったんだから、必ず届いていると思う」
「でもないし」
「もっとよく確認して!」
「ないったらない」
「本当に?」

もはやこれまでか・・・と思ったそのとき。
ふと視線を移すと、その女性のすぐ後ろに、 見覚えのあるヤマトの段ボール箱が・・・!
すっごく雑にガムテープでくくってある、あれは、私の荷物に間違いない。
「セサセサ!!!」
指をさして主張する私。
「はあ?」
って感じで振り返り、悪気もなく、名前を確認すると、
「はい、受け取りにサインして」

おいおい・・・!!
ないって言ったのアンタでしょう・・謝れよ・・・確認せずに「ない」って言ったことをよ・・・怒
日本語でおもいっきり目を見て言ってやったが、肩をすくめていた。
しかし、きっと意味は伝わったと思う。 

ともかく、カートに段ボールを載せ、TGVの駅へふたたび猛ダッシュ。
私の姿を認めると、大喜びで息子が飛び跳ねた。
どうだい、お母さんはスゴいだろう。
モンペリエ行きのTGV、発車時刻20分前のことだった。

TGVでモンペリエまでおよそ4時間。

プラットフォームへ降りるエレベーターが混み合い、段ボールの荷物をスーツケースに詰め込む暇もなかったので、仕方なくヤマトの箱を持ったままTGVに乗車。
ギリギリだったな〜。しかし、見つかってホントに良かった。

飛行機に比べて、席も広々、のどかな景色も楽しめるTGVは、なかなか快適。
車内の売店で、クロックムッシュを買って、軽いランチ。

ドリンクと、リンゴが付いていた、美味しかったね。

あっという間、でもなかったけど、まあ、そうこうしているうちに、モンペリエに到着した。

プラットフォームまで、友人Aさんの夫、Fが迎えに来てくれた。
Fはフランス人なんだけど、日本に8年ほど住んでいたので、日本語が達者。
ほっとしながら、車で目的地のセヴェンヌへ向かう。

想像以上に近代的な街、モンペリエ。暑かった!


モンペリエが都会的だったので、な〜んだ、けっこう街じゃん、などと思っていたが、車で約2時間。
そこには、スケールの大きな農耕風景が、パノラマで広がっていたのだった・・・!!


見渡す限り、こんなです。待たれよ次回!

















2016年7月4日月曜日

ひまわりの花束

まったくの急展開で、6月で職場を辞した。
今は、しばらく実家で息子と過ごしている。

5年前、お産のために里帰りしたのも、この季節だった。
おおげさなようだけど、自分の人生の節目としての夏がまたやって来た、なんとなく、そう思う。


この夏の計画を考えたとき、いよいよトップシーズンを迎える職場で、このまま働き続けることが難しいと判断したのだけど、 これまで本当に良くしてくれたスタッフのみんなと別れるのは、やっぱり寂しかった。
学生以来、組織に所属し続けてきたので、やめるという選択をすることが怖くて、迷いはあった。
それでも、「選択に自信を持つ」が身上なので、思うままに、ともかく進むことにして、そうすると、さまざまな偶然が重なりはじめ、新しい流れに乗った私の船は、加速を始めるのだった。


そんなここ数週間の出来事を、おぼえがき。

横浜の素敵ママ宅へ、お泊まりパーティー。
女子力の高い2人のママに、おっさんの私がなぜいつも仲良くしてもらえるのか、はなはだハテナなのだけど、この夜も楽しかった。3時近くまで話して笑って、寝不足の朝。

持ち寄りディナー。コブサラダ美味しかったよ!

 幼なじみの3人。仲良し。いつでも息子は裸の大将。

子供たちのテーブルがあるって、嬉しいよね。 

翌日は、夫のジャズバンドの演奏を見に、港区へ。
けっこうお客さんが入っていて、ほとんど練習に参加できていなかった夫の出来が気になる。
ベースの音を注意して聴いてしまう私。
まあ、なかなか良かったんじゃないかな?



今年はボーカルも入って、楽しかった。

「お父さん、かっこいい・・・」と息子。数曲聴いたら、もう飽きてしまったが。。

それにしても港区。
ちょっと停めただけだと思ってたんだけど、駐車料金が高くてびっくりした。
田舎ッペには痛い出費。次回は電車で来よう・・・。

夜は、職場のレストランまで行って、食事を楽しんだ。
夫がお酒を飲まずに我慢してくれて、ありがたく車で帰る。


不思議な縁で、この職場にお世話になった。4年と3ヶ月。

そして、いよいよ勤務の最終日。
引き継ぎ業務をいろいろ片付けて、挨拶してまわる。
スタッフのみんなから、あたたかいねぎらいの言葉と、お別れのプレゼントをいただいた。
最後に仲間たちが見送りに出てきてくれて、涙のお別れ。
泣きながら、最後のロングドライブで、息子の待つ保育園へ向かった。

 若いみんな。優しくて、仕事熱心な人ばかり。娘や妹のように、かわいかった。


5月のおわりに、職場で結婚式の仕事があった。
新人の若いスタッフが進行役に抜擢されて、試行錯誤しながら仕事に取り組む姿を見た。
不器用に時間をかけ、真剣にゲストの要望を聞き、悩んで、落ち込んだりしている様は、20代の頃の自分を思い出させた。
「私も、いつか、できるようになるでしょうか」
手練の私に、涙目で聞いてくる彼女を見ながら、 つくづく思った。
ああ、彼女の仕事人生は、始まったばかりなんだなあ。

20代は手探りで仕事にもがき、30代は采配の世代。40代からは、育成とサポートに回る世代。
家庭、子育てと両立する場合、そこで何を中心にするかは、人によって異なると思うけど、やっぱり、女性の仕事は、20代、30代が最盛期だと思う。

約20年、仕事をしてきた。
これから、どう時間を使うか、今は少し、ゆっくりと考えたいと思っている。

仕事最終日の夜、いただいたプレゼントや手紙を自宅のテーブルにならべて、ひとつずつ眺め、しばらく感傷に浸っていると、ピンポーンとインターフォンが鳴った。
荷物かな?と思って出てみると、大好きな西鎌倉のお花屋さんだった。

夫が、私にサプライズで花束を頼んでくれていたのだった。



「お母さん、良かったね!」と息子。ありがとう。

ひまわりを中心にしたアレンジに、
「お仕事お疲れさまでした」
というメッセージがついていた。

 結婚して14年、この花束ほど嬉しかったことはない。
「奥さまはひまわりのイメージで、と、旦那さまからご依頼がありました」
と、花屋さんが言った。

ひ、ひまわり・・・

なんだか嬉しくて、また泣いてしまった。
日中から涙腺が緩んでいるので、すぐ涙が出る。

だいたい、自分の勝手で、仕事を辞める私に、
こんなに優しい気持ちをくれるなんて、なんて人がいいんだろう、と思った。

私は、子どもの頃から、両親に、何かを反対されたことはない。
進路も、結婚も、すべて自分の思う通りにさせてもらった。

しかし、考えてみたら、夫も、私の希望を叶えてくれる人だった。

結婚してくれて、夢だった東京で働かせてくれた。
痩せるために高額なエステ代金を払ってくれたけど、痩せなくても文句を言わなかった。
毎年、私が勝手に行き先を決める海外旅行へ、一緒に行ってくれた。
私が子どもを諦めかけたのに、彼は諦めなかった。
引っ越して家を建て、通勤時間が倍になっても、「引っ越してよかった」と言ってくれた。

もちろん、いいことと同じくらい、腹立たしかったこともトホホなこともある。
だけど、今、夫は、いい人だなあ、と思う。

花束が届いて2時間後くらいに帰宅した夫。
いつもは先に寝てしまう私だが、この夜は彼を待ち、ふたりで美味しいクレマンを飲んだ。
夫はその後安いワインに手を出し、テーブルで寝てしまったので、放置して私はベッドへ入った。

 年末に、弟がくれたクレマン。弟は下戸だけど、彼の友達が、ビオワインのお店をやっているのだ。

 その後、連日、楽しい集いが続いた。
 世田谷の素敵なマダムのお宅では、持ち寄りランチパーティー。
食の趣味がばっちり合うお友達と、有意義なひととき。


 このテーブルコーディネート!素晴らしい世界観。


お友達主催のフリマへ行ったり、ワークショップに参加したり。
ああ、つかの間の、優雅な主婦気分。



これ、私が作りましたっっっ!!グレナトレドさんの、WS@Tサイトにて。貝と、あじさいのリース。


そして今、実家に帰って、両親や弟たちと、リラックスした時間を過ごしている。

諸処片付けた後は、いよいよ旅立ち。

さあ、どうなることやら・・・

不安もあるけれど、新しいことに出合うワクワクのほうが大きい。
また書きます。
 


オロナミンCが大好きないとこ同士。

2016年6月20日月曜日

ハ・ダ・カdeディズニーシー。

梅雨の晴れ間の金曜日。
同じ名前の幼なじみと共に、ディズニーシーへ出かけた息子S。
彼はシーは初めて。

ランドのほうが喜ぶだろうとは思ったが・・・
母たちが「酒が飲める」という理由で、シーに決定。

行き帰りも飲むつもりで、電車に乗って、遠路はるばる出かけて行った。
いやま〜、遠路であった。
京葉線への乗り換えで、朝からヘトヘト。

ワクワクのSたち♪

前はお隣の市川市に住んでいたので、近かったなあ。
子供がいたら、年パスを買っていたかもしれない。
と思って、いま調べてみた。



【大人】93,000円
[中人] 93,000円
[小人] 60,000円
[シニア] 79,000円

うん、買わないなw
中人ってなんだろう。同じ値段なら設定いらんだろう。

 不思議な天気だった。

乗り換えが遠すぎて、トイレなどに行かせている間に時間を食い、開園前に着くはずが、20分遅れくらいで到着。

暑い日だった。
ジュース2本にお茶の入った水筒を持参したけど、息子と2人ですぐになくなってしまう。
それでも、湿度が低く、日陰は涼しかった。
これが限界だ、夏のこれ以上厳しい天候では、とても来られない、と思う。

とりあえず、しばし並んで、トイストーリーマニアのFPを取り、ゴンドラに乗る。

 地味なアトラクションに、静かな2人。

 すぐに休憩&おやつ。

ゴンドラの後、そのへんをチンタラ走っているクラシックカーに乗って、「わあ〜、ニューヨークみたいだね」と言ったりしてみるが、息子らシーン。だ〜ね〜。ニューヨークとか知らないわね〜。

その後七夕のショーを観るが、15分間、息子を抱っこ。
腰と膝にきた。
船の上のミッキーは少し遠いので、ランドのパレードとくらべるとイマイチのりが悪い息子たち・・・。

しゃーないし、子供向けのアトラクションへ行くか〜とダラダラ移動。
途中で、フォートレス・エクスプロレーションという、火山の手前にある要塞にさしかかり、宝の地図風のマップをもらうと、いきなり息子たち大興奮!!

「探検だ!」


この地味なとこ。

「あっちだ!」
「待て!こっちだ!」
「オレが船長だ!」
 そこは隊長じゃないのか。

「こっちかもしれない!来い!」
いきなり母親に向かって命令口調。

 この要塞、4階建てになっているんだけど、のぼったりおりたり、同じとこ入ってみたり、何が楽しいのか、、母たちはついていくのに精一杯。

それでも、ようやくブレイクしだした息子たちの嬉しそうな表情に、安堵の母たち。
「結局さ〜、子供が喜んでる顔見てるのが一番嬉しいんだよね〜」。


「秘密の扉をみつけたぞ!」「何か書いてある!」・・・消火栓だよ。


 最下階は、海賊船につながっていた。大砲は、紐をひっぱるとそれらしい音がして、大喜びするSたち。

結局、水遊び・・・。

木樽から、ランダムに水鉄砲が飛び出してくるコーナーがあって、ここで30分以上遊んだ息子たち。ちょろちょろと出るだけだから、まあいいか、と思って放っておいたら、塵も積もればで、Tシャツはびしょぬれ。


とりあえず干して、

 結局いつものように裸になるSたち。ここ、どこだろう・・・。

ついにキャストに「危ないから、何か上に着ようね」と諭されてしまった。
乾くまでこのままでよかったが・・・
ここは鎌倉ではない。しぶしぶ別のTシャツを着る息子たち。


さて、ランチ。
ランチ難民になるのも嫌で、ミラコスタのブッフェを予約しておいた。
時間がちょうどよくて、レストランのバルコニーから、クリスタルのショーを観ることができた。息子たちを肩車する母2人。
苦行だった。
 「早くショー終われ!!!」
念じる母たち。
 「ミッキー!!」
叫ぶ息子。

あ〜、そういえば、私も、この海上のショーは好きだったなあ、と、両肩の重さに耐えながら思い出した。
かつて、仕事でディズニーの謎本を手伝ったことがあり、取材で何度か来たものだった。あの頃はまだシーもできたてで、ハリボテ感が半端なかったが、15年たった今、街の書割りも色合わせて落ち着き、本当の街っぽく見える。天気の良さも手伝って、風景はどこも美しく、本当にヨーロッパだかニューヨークだかに来ているような気がした。

さて、食事。
ショーが終わった後は、お腹をすかせたゲストが メインディッシュのあたりに列をなした。
とりあえず、ドリンクメニューを開く。

な、な、なぬっ!?
ソフトドリンクも別料金かいな!?

小さなプラコップに入ったコーラ、600円超え・・・泣く泣く注文。

シャンパーニュグラス1800円の、スパークリンググラス1400円。
ちょっとけちってスパークリングを 2つ頼んだら、持ってきたボトルは、見覚えのあるヤツ。
「こ、これ、・・・確か仕入れ値1200円前後だぞ!?!」
一瞬目を疑う私。

仕入れ値1200円を一杯1400円で売るってか。。

飲食業はダメね〜、すぐに原価計算してしまう。
くそ〜、シャンパーニュのほうがコスパよかったか!
まあ、ここは夢の国。年に一度来るかどうかなんだから、ケチケチせずに、楽しもう!!

と、言いながら、1杯でやめる私たちw

食事は、細かい前菜がいろいろあって、まあ、酒のつまみとしては悪くなかったが、メインディッシュがなあ〜。牛肉ないんだもん。ローストポークにチキン、鯛のパイ包み。ここでも原価を考えてしまう私。

そしてデザートは明らかにタカナシあたりの出来合い・・・。

息子たちはハヤシライスなどを食べ、デザートでは、なぜか出ていたこんぺいとうに夢中。
こんぺいとうとコインチョコのところに息子がむらがっていると、男性スタッフが
「何個でも食べていいんだよ♪」

当たり前だ!!

ちなみにブッフェは大人4200円、子供1940円(税別)。

デザートを食べ終えた私たち、「珈琲飲みたいね」。
「別料金・・かなあ」
「・・・でしょう」
「・・・や、やめよっか」

珈琲を諦め、ホテルを出た・・・。

「こんぺいとう、おいし〜い!」そ、そこかよ・・・


唯一、キャラクターと写真を撮ったが、これ、ピノキオのキャラだよね。なんていう名前だろう・・。

海底2万マイルがメンテナンスでお休みで、マーメイドラグーンへ移動。
少し遊んで、ビッグバンドビートの2階席へ並ぼう、とまた移動。
ビッグバンドビートは、すでに満席。

たまにしか来ないから、イマイチ効率がわるい私たち。

タワーオブテラーに並ぶも、静かに待っていられない息子たちを見かねて、脱落。

「疲れた」
「足がいたい」
「何か飲みたい」

ぐずぐずしてきたので、少しカフェで休憩をしたら、
エレクトリックレールウェイに乗って、アクアトピアに乗った。


これはキャーキャー言って喜んでいた。

 しかし、結局、こういう何でもないところで遊ぶのが一番楽しそう。


FPを取っておいたトイストーリーマニアに乗り、年甲斐もなく高橋名人みたいに連射をがんばってしまったため、くたびれ果てたところで、
「探検!探検!」
あ〜・・・。
また要塞へ行きたいという息子たち。

最後の元気を振り絞って、また歩き出す母2人・・・・。
ところどころで腰をおろしていると、
「行くぞ!!」
と息子に叱られる。
「いや、ちょっと無理、座りたい」
と弱音を吐くと、
「この先に座れるところもあるかもしれないから!」
と説得されてしまった。


なんだかんだで、園を出たのが19時。

息子たちは東京駅までは元気で、京葉線の乗り換えもぴょんぴょん弾みながら歩いてくれた。
東京駅地下の中華で、夕飯。
すべてが安く、美味しく感じる、ディズニー効果・・・。
 さすがに疲れたのか、肉まんを食べた2人は、中華屋で撃沈してしまった。

帰りの電車も、眠る息子をそれぞれ抱っこ。
大きくなったねえ、と話しながら帰った。

バギーを使っていたのは、いつまでだっただろう。
お世話になったマクラーレンのバギー(ブックオフで1500円だった)は、ずいぶん前に友達に譲った。
5歳前ともなると、ずっと抱えて歩くのもきつい。
乗り換えの都度、息子を起こし、少しぐずりながらも歩いてくれるようになった。


しかし、結論。
子連れディズニーはやっぱり車で行くべし。
シーでは飲めるとはいえ、子連れではしょせんがっつり飲むことなど不可能。
高いし、1杯しか飲まないなら、飲まなくても一緒だったかな。
帰りの電車の乗り換えの過酷さを考えると、やはり、車だなあ、と思った。

ようやく、こういうテーマパークを楽しめる年齢になってきた息子たち。
小学生になったら、園内で野放しにしてイクスピアリで買い物して飲んでいよう、と話した。


私が子供の頃、両親にいろんなところへ連れていってもらった。
私たちとは違って、まだ若い頃に育児をはじめた両親は、どんな思いで私を見つめていただろう。
それでも、やっぱり同じことを思ったに違いない。
場所はどこであれ、子供が笑う姿を見ることに、幸せを感じる。
何かを見て驚き、感動して、輝く瞳、それを傍らから見ることの、このうえないよろこび。
こうやって、親になっていくんだと実感する。

テーマパークは、子育てにおける定点記憶の場なんだな、とつくづく思った。
そういう意味では、高いホスピタリティと安全性を保持し、次々とエンターテインメントを繰り出すディズニーの運営力は素晴らしい。1杯1400円のスパークリングも、許せる気がする。いや、高い。

私の両親にとってそうした定点記憶の場は、近所の公園だったんじゃないかな。万博会場になったその公園には、数えきれないほどの思い出がある。




さて、あくる朝。
全身に残る疲労感。
節々が乳酸に満ち、むくみがひどい。
ハードな登山の翌日みたいな体になってしまった。これが高齢育児のツケというやつなんだな・・・。




ご苦労様!楽しかったね!



息子が、寝起きにおもしろいことを話していたので、ここに記しておく。

「Sね〜、お母さんのお腹に入る前はね、神様だったんだよ。神様の大学があるんだよ。学校。そこには、無限大数くらい、いっぱい、子供とか赤ちゃんがいて、みんな寝てて、夜になると、光ってるの。Sもそこで、ずっと横になって寝てたんだけど、大きくなって、大人になって、大学4(大学4年生という意味だろうか)くらいになったよ。そうしたら、お母さんの『S、おいで〜』っていう声が聞こえたから、Sは、お母さんのお腹に入って赤ちゃんになったよ。お腹に入るときは、透明なガラスみたいなのに入っていたんだけど、それは割れて、消えてしまった。」

「神様の大学には、ケンタっていう友達がいたんだよ。でもその子は、今は、そういう名前じゃない」

「お父さんが車に轢かれたんだけど、お母さんが、死なないで〜って言ってたから、Sは、お父さんを死なせなかったよ」

どこでこんな話を聞いたの?
夢で見たの?
いろいろ質問してみたが、よくわからなかった。
これが、出生前の記憶というやつなのだろうか。
車に轢かれた云々は、きっと私と夫の話を聞いて、作り出したんじゃないかと思っているが、その他はなかなか興味深かった。よく聞く、子供が語る出生前の記憶の話に、共通点が多いことも、不思議だった。

こんなことを話したことすら、息子は忘れてしまうと思う。
でも、私は憶えていようと思う。





2016年3月9日水曜日

少し早めの七五三

七五三といえば、11月。
なんだけど、この秋はちょっとできそうにないので、思い切って、この春、かぞえの5歳に七五三のお参りをしておくことにした。


友達に紹介してもらった八幡様近くのフォトスタジオには、3月末まで七五三プランがあった。 さっそくポチリと予約。前後で埋まっている様子はなかった。そりゃそうだね、3月に七五三って珍しいよね〜。


前日から、父母が泊まりにやって来た。
父がわが家に来るのは、里帰りから戻った時以来だから、4年ぶりか・・・。
増築された家を眺めて、「ま、3人家族ならこんなもんでええわな」と言った。


このところ出不精になっていた父だけど、きっとこの七五三のための鎌倉旅は、ものすごーーく楽しみにしていたはず。
夕飯を囲みながら、母が言った。
「Hちゃん(父のこと)は、娘に会うときに一番嬉しそうな顔をするよ」

 夫とも日本酒を酌み交わし、楽しい前夜を過ごした。

翌日。
私は保育園ママ友の家へ。
育休中の美容師さんなので、ヘアと着付けをしてくれた。

着物・・・。
かつてあんなに練習したのに、すっかりできなくなってしまった、帯が・・・。
とりあえず、これを機に、名古屋帯からまた練習する予定・・・。
桐のタンスを久々に開けてみたら、出るわ出るわ、これも着てない、あれも着てない。
そうこうしている間にもう年齢に合わなくなったよこの小紋、えっ、こんな帯持ってたっけ、etc.・・・DINKSの間にしこしこ集めたお宝が、悲しげに眠っていた。
が、がんばる!もう一度!

で、この日は、一度も着たことのなかった紬の付け下げにした。
七五三にカジュアルすぎるかなとも思ったけど、時期もずれてるし、春だし、軽い感じで。
しかし絶賛デブ中、着物姿を鏡で見たら、お太りになっている頃の林真理子先生のようだった。


私が着付けをしている間、息子は祖父母とともに近所をお散歩して回ったようだ。
秘密の公園へ祖父母を案内し、江の電沿いのスーパーでおもちゃを買ってもらい、しぶい喫茶店でジュースを飲んで帰ってきた。
簡単に昼食を済ませたら、さっそく出発!


息子は、フォトスタジオでお着付け。
本人も、「お侍さんになる〜♡」とワクワク。
私も母も、親バカ&バババカ炸裂。「Sちゃんかっこいい〜♡♡♡」

馬子にも衣装。
息子は和顔なので、袴がよく似合うと思った。

 青い刺繍の半襟がかわいかった。

 まんざらでもない表情。

羽織は迷わず龍のをチョイス。一番「悪〜い」感じの柄だった・・・さすが氣志團ファン。


 上手にノセて撮ってくれるカメラマン。


でもこんなことばっかりしてる。

ハウススタジオ内でいろいろ場所を替えながら、たくさん撮影してくれたが、息子はふざけてばかり。
こんなのでいい写真撮れてるのかね〜と不安になったが、最後にスライドショーで見てびっくり。
こんなポーズいつ撮ってた!?
ま、まともな表情撮れてる〜・・・一安心。
しかし私はご存知絶賛デブ中。どの写真も、林真理子先生なのであった。

データを送ってもらうのが楽しみだ。
早く来ないかな〜。


撮影後、2時間の貸し出しがあり、袴姿のままで、鶴岡八幡宮へ参拝にGO。
さすがに七五三はいなくて、息子はずいぶん目立ち、外国人観光客から写真を撮られていた。



一目散にかけつけた、ぶどう飴の屋台。



祖父に背負われて。草履は写真のときだけ履き替えたww

 夫も、こう見えてずいぶん肥えた。着痩せするタイプなんだよな〜悔しい。私はくどいようだけど林真理子先生。


参拝も、お宮参りや家内安全などのご祈祷にまざって、さほど待たず、スムーズに。
祝詞のなかで家族の名前が読み上げられ、最後に七五三おめでとうの声をかけてもらうと、なんだかジーンと感動した。
名古屋で行ったお宮参りのことを、思い出した。




 何を食べても美味しい〜江ノ島の名店「日本食ゆうがた」。


七五三の会食は、どこにしようか、少し悩んだ。
華正楼、鎌倉山倶楽部、ローストビーフ鎌倉山、米倉、和さび・・・
少し改まった個室がいいとは思ったのだけど、父のことを考えると、どうもしっくり来なかった。

父の好きな感じの、肩肘を張らずに済む、家庭的な雰囲気のところがいい・・・と思い直して、最終的に決めたのが、江ノ島駅すぐそばの「日本食ゆうがた」

カウンターとテーブル席だけの小さなお店。
割烹料理というよりは、創作和食という感じ。
どの仕事もとっても丁寧だけど、どこか家庭的な味付けがあって、なじみやすい。
こういう和食を作れるようになりたいと思う。教えてくれないかな〜。



この八寸、美味しかった。特に炒ったおから。


和牛いちぼ治部煮・・・絶品だった〜♡


このお店にして、結果的に、大正解だった。

 普段あまり珍しいものを食べない父が、すべて平らげたのだった。
「うまい、うまい」と言って。

がやがやと、カウンターや別のテーブルからほかの客の声が響いて、息子の声もまぎれるし、なんだかとても、いつに増して、居心地が良かった。

日本酒もたっぷり飲んで、いい気分で、ぶらぶら歩いて帰宅。

また皆で行きたいな。


 翌日は、藤沢まで父母を送って行った。
夫行きつけの店で、カウンターに並んでラーメンをすすり、小田急の地下で珈琲を飲んで、改札で別れた。

エレベーターに乗って見えなくなった父母を確認して、私は安堵した。
ああ、無事に終わった。本当に良かった、と思った。

夫は「そんなに一大事だったの?」と言ったが、
うん、私もはじめは、さほど大事に捉えてもいなかったのだけど、
日にちが近づくにつれて、父母の「いそいそ、ワクワクした感じ」が伝わってきて、「ああ、これはきちんとやらねばならないぞ」と、とにかく、いつの間にか、背筋がしゃんとしたのだった。

七五三、息子はきっと記憶に残るまい。
写真を見て、「やったんだな」とデータとして記録するだけだと思う。

だけど、私たちや、息子の祖父母にとっては、結婚式に匹敵するくらい、そこに大切な思いを込めた記憶になる。
というか、親の私たちが意識してそうしなければいけないのだな、と、思ったのだった。

父母を接待するための用意をしながら、だんだんそういう気持ちが大きくなってきて、改めて、七五三の意味を思い知った気がした。
これからの息子の成長と長寿を願うのと共に、無事に5歳まで育てることができた喜びを、家族で分かち合う日なんだな、と、納得したのだった。




裸族シリーズ・・・。

その日の夕方からは、保育園友達の家に集まって、お好み焼きパーティー。
今月で東京へ引っ越してしまう双子の男の子たちの、送別会。
遊んだりケンカしたりお風呂に入ったり、気兼ねない仲間との楽しい時間を過ごした息子。
「保育園行く!保育園行く!」が毎日の口癖。
だんだんジェンダーも顕著になってきて、いつでも男同士の遊びに夢中になっている。
Nくんたち、また遊ぼうね。



少し早いけど、七五三おめでとう、息子。
これからも健康で、元気に、すくすく育ってください。
君の成長が、何よりも楽しみです。
母より。



おまけ:裸族シリーズ、別の保育園の仲間たちと。