2016年7月18日月曜日

子連れフランス旅日記 <お父さんとのバカンス編>

息子撮影。きさくに笑顔を向けてくれるフランスの人たちにほっと和む。

ボンジュ〜ル!
あっという間に、フランス生活も1週間超。
今回は、荷物持ちとして同行してくれた夫とのバカンスについて書こうと思います。


モンペリエへ迎えに来てくれたF。20年ぶりくらいに会った。


お世話になるAさんと、運転中のFとの次男、W君。ヤングと息子ともすぐにうちとける。

2時間ほどのロングドライブを経て、ユネスコ世界遺産セヴェンヌ国立公園内にある小さな町、Camprieuに到着。

ここが、お世話になるオーベルジュ。100年以上の建物。かなりギシギシきてますw


さっそく夕飯をごちそうになる。
いろんな種類のチーズに、野菜スープ、ピッツァ。頬肉の煮込みも、出て来たなあ。

このトマトサラダ、全部トマト。一番上にのっている、黒っぽいトマトがめちゃめちゃ美味しかった!

Wifi環境も大丈夫。安心するヤング。


この日から、しばらくオーベルジュで寝泊まり。
翌日は、雨で、その後、ものすごく寒い日が続いた。
スウェット生地のパーカしか持ってこなかった私たち家族。
「どうする・・これ、11月くらいの気候だよ」
「寒い〜」
Aさんが、洋服をいろいろ貸してくれたのと、夏服を重ねに重ねて、なんとか観光へ繰り出す。

デジュネはスタッフに混ざってまかないを食べる。すんません!

W君とサッカーをして遊ぶ息子。フランス人はサッカーが大好き。

近所には、Abime de Bramabiauという有名な洞窟があって、雨脚が弱まった夕方、出かけてみた。

今の時期、日が沈むのは23時くらい。ずーっと明るくて、なんだか変な気分。
重ね着家族

ちょっと離れたところから見たところ。

ほほ〜、なかなかデカいねえ。どれどれ・・・。気軽な気分で入って行った私たち。

息子撮影。


写真では伝えきれないけど、かなりすごい洞窟です。

ガイドさんが先導してくれて、都会からバカンスに来ているフランス人たちにまじって観光する私たち。ところどころ立ち止まって、説明があるんだけど、早口だしさっぱりわからない。そして話がいちいち長い。言葉がわからないので、だんだん待つのが苦痛になってきた。せめて英語ツアーがあれば・・・いやいや、何しに来たんだ、英語の勉強にきたわけじゃないだろう、自分!!

2時間ほどの行程を経て、ようやく洞窟を脱出。
「疲れた・・・」
と息子。
しかし、売店ではさまざまな石が売っているので、恐竜→石ファンになりつつある息子は、その後「洞窟いこう!洞窟いこう!」 やたらと言う。
9月に友達が遊びにきたらね、となだめているところ・・・。

フランス語がわかる人には、きっと楽しめるこの洞窟。
暖かい格好、あるきやすい靴で行かれることをおすすめします。

息子が摘んでくれた野花でブーケを作る。

オーベルジュの近くには、とてもきれいな湖があって、散歩にはもってこい。
おたまじゃくしや、小魚が泳いでいる。
息子のお気に入りの場所になった。

Aさんが、
「車を使ってくれていいで〜」
と言ってくれたので、国際免許も持ってきたことだし、お言葉に甘えて、車を借りることにした。
しかし、ミッション車。
おっかなびっくり、田舎道で練習を繰り返した。

ドンドン、プスン。
何度もエンストをして、パニくりながらも、なんとか運転できるように。

じゃあ、ちょっと行ってみようか。
気を良くした私は、さっそく遠出をすることにした。


天気はいい、けど、超涼しいんだな〜。夫もブルブル震えていた。

出かけた先は、バイソンのいる牧場。

バイソン。フランス語では、ビゾーという。

なんでここにバイソンがいるかって?
これもガイドツアーに入ったけど、何を言っているのかまったくわからないので、謎のまま・・・。カナダとかオーゼタジュニとかいう言葉が聞こえたので、きっとアメリカ方向から来たのだろう。トホ。
 赤い看板が青空に映えて、とてもかわいい建物。

ここに、バイソンのお肉を食べさせるオーベルジュがある。
美味しそうだ・・・。
値段などを見て、とりあえず、いったんCamprieuに戻った。

翌日、張り切って11時半に再び牧場へ。
ランチは12時から、と言われて、しばし時間をつぶす。

結局、食べることしか楽しみのない私たちw

 サンテ〜♪ 

シンプルなお皿も、外国なら許せる。これが前職場だったら、「ちょっと〜けんちゃん、もっと何かないの〜」とシェフに文句を言っているところw

前菜は、バイソンのパテ。コクのあるコンビーフみたいな感じかな。美味しかった。


バイソンのステーキと、チリコンカンみたいな? あと、ポテトフライ。

バイソンのお肉は、完全に赤身、だけどとってもやわらかくて、さっぱりしていた。

ラングドック地方は、お肉料理とポテトが定番。
毎日肉を食べているけど、意外と飽きない。
でも、ポテトには飽きている・・・。

食後は、ぶらりドライブ。
プスンプスン、坂道でエンストをしながら・・・w
車が少ないので、練習にはもってこい。

「カーズ」に出てくるみたいな風景。マックインとメーターが遊んでいた牧草地を思い出して、「メーターのところだ!!」と息子。

何度も飛び降りては、喜んでいた。

驚くかな、ここ、翌日にはこの牧草のロールみたいなやつ、もう全部なかった。いつの間に運んだのかな・・・。

Camprieu では、年に1度の夏祭りラ フェット が行われる。
夏のあいだは、いろんな村でやっているみたい。
オーベルジュにも、その3日間はお客さんがいっぱいで、いったん、私たち家族は、オーベルジュのオーナーの家へ引っ越すことになった。


コケッコッコー!朝はほんとにこの雄鶏の声で目が覚める。

オーベルジュから、車で15分くらいのところにある、Lanuejolsという町。
牧草地を抜けて、鹿の鳴く森を越え、オーナーのご主人が営む農場の向かいに、その家はある。
隣の家は、数百メートル離れ、家のどこにも鍵がかかっていない、昔の私の実家のようなところだった。

家の近所の景色。誰もいない。

ここでも毎日、ワークをする息子。日本語の読み書きを忘れないように。

家にあった赤ちゃん用おもちゃを満喫する息子。

農場の温室には、なんとプールがあり、持って来た水着がようやく日の目を見る。


農場を見学。これは肉牛。


右側に見える森に、鹿がいっぱいいる。牡鹿の角が大きくてびっくりした。


誰もいませんw

夕飯は、オーベルジュからおかずや野菜をもらって来た。ワインもくれた。至れり尽くせり。

温室の奥にいた雌鶏が産んだばかりの卵を、即座に茹でてみた。こんな美味しい卵は、食べたことない! とろっと濃くて、甘みがあって、最高。いや〜、これは、贅沢。


サンテ〜♪ アルザスのビールは、とってもフルーティーでおいしかった。前菜のサラダは、リンゴ入り。

 Lanuejolsで、オーナーの親戚がやっているというレストランに来てみた。
だいたい、どのレストランでも、ランチセットみたいなのがあって、メインが選べたり選べなかったり。前菜、メイン、デザート。珈琲はだいたい付いてない。
店により、9〜20€くらいの幅がある。ここは、16€だった。

ここのは、魚か肉が選べたので、私は久しぶりに魚をチョイス。


鱒かなあ。ムニエル。すごーく美味しかった。

ヤングは、鶏肉の煮込み。これも美味しかった。

食後は、町の中心あたりをぶらり。人は少ない。
公園があったので、息子が遊びたいと言って入っていった。

Il fait beau! いい天気。

すぐ座るおじいちゃん枠ヤング。後ろには老人ホームがあった。



教会の塔を見て、「ロンドンだ!」と息子。

 お祭りの広告が貼ってある。


Camprieuに戻って、また公園へ。
とにかく広くて、走り回って遊べる。うちの近所のクジラ公園とは大違い・・・
 

これは遊具ではなく、大人向けのフィットネス器具。毎朝通おうと決めた。


鞍馬みたいなことをする器具。私は自分を持ち上げることができなかった・・・

こんな風に食べたり飲んだり、ぶらぶらしたりして、毎日が過ぎていく。
途中、ニースで過激派によるテロがあり、日本から安否の確認がじゃんじゃん来た。
同じ南仏とはいえ、かなり離れた山奥にいる私たちは、のんびりすぎるほどのんびりしていた。

やがて、だんだん、息子は、私たち大人といることに飽きはじめ、同世代の子供との交流を求めるようになってきた。

モンペリエまで迎えに来てくれた、AさんとFの息子、W君は、小5。
日本語はだいたい理解できるけど、話すことはできない。
息子は、W君を頼って、何度か遊んでもらったり、断られたりを繰り返し、やがてW君も、息子がまったくフランス語を理解しないことに飽き飽きしたようだった。
お家へ遊びに行っても、あとにして、とか、ダメ、とか言われるようになり、息子は意味がわからないので、私が適当に「宿題あるらしい」などとごまかして連れて帰ったりした。

あるとき、息子がW君の家のレゴを使わせてほしいと行くと、W君は怒って「ダメ」と言う。前回息子が使った際、W君の作ったものを壊したからだそう。
それでも息子は、彼の気を引こうと、買ったばかりのビー玉を見せようとしたが、「は?」みたいな態度を取られる。
私も、いい加減、嫌な気分になって、息子の手をひいて、「行こう」とその場を去ろうとした。
しかし息子は、唇を噛み締めて、「W君と遊びたい。W君と遊びたい」とつぶやく。

まあ、どちらの気持ちもわかる。

息子は、逗子に住むアニキ分Y君と、フランスのW君が同じ年なので、同じように遊んでもらえると期待をしてやって来た。
W君も、楽しみにしてくれていたと思う。でもそこには、やはり言葉の壁があった。
W君がいくら話しかけても、息子はキョトンとしているだけ。要望だけ日本語で伝えてくる。ただでさえ、4歳と5年生とでは遊びのギャップがあるのに、ずっとこれでは、付き合いきれないよ、というところだろう。

息子が彼の部屋を寂しげに見上げている様子に、私はつい、こみあげてくる感情を抑えられなくなってしまった。息子すら泣いていないのに、私のほうが、堰を切ったように涙を流してしまった。翌日は、夫が帰国してしまうという日だった。不安でたまらなくなってしまった。

このまま、息子に友達ができなかったらどうしよう。
私のつたないフランス語では、彼に友達を作ってあげることもできない。これからオーベルジュのお手伝いもするのに、エコールが始まるまでの1.5ヶ月、どうやって彼を楽しませてあげられるだろう?

いきなり泣き出した私を見上げて、息子はびっくりした様子だった。
夫に心情を吐きだし、座って泣いていると、オーベルジュのオーナーがワインを持ってきてくれた。
それから、Aさんも、オーナーも、オーナーの妹も、みんなが私の肩を抱いてくれて、大丈夫だよ、大丈夫だよ、私たちは家族だから、みんないるから。息子も必ずフランス語がわかるようになるし、友達もできる。安心して、と言ってくれる。

そこへ、折よく、オーナーの親戚の子供が、お祭りのためにモンペリエからやって来た。
W君よりも少し年上のC君が、息子と遊んでくれると言う。

オーベルジュの元の持ち主であるTおばあちゃんが、みんなに10€をくれる。
C君と息子は、それを握りしめて、お祭りへ出かけて行った。

C君は、日本語はまったくわからないが、息子を連れ回してくれた。

 マンガのようなペロペロキャンディーをC君に買ってもらい、ゴキゲンの息子。

「ほら、子供はこうしたもんだよ。あなたも疲れたんだよ。今日はゆっくり休んで」
オーナーが言う。

感謝しながら、Lanuejolsのお家へ戻った。

その夜。

急に、息子が夜泣きをした。
膝の裏が痛い、と大騒ぎ。
なだめながら、これは、きっと精神的なものじゃないかな・・・と私は思った。
カロナールを飲ませて、寝かしつける。

翌朝、息子はベッドから出ようとしない。
もう膝の裏は痛くないと言う。じゃあ、どうしたの?と聞くと、
「気持ち悪い」
まあ、じゃあ、何かお薬を飲む?と言うと、
「違う。オレは気持ち悪いんだ。気持ち悪い子なんだ。フランス語もわからない。オレは全然ダメなんだ」
しくしく泣く。

やっぱり、息子には、昨夜私が泣いた理由がわかっていたのだ。
話を聞かれないように注意したが、結局、察してしまったんだ。
私はちょっと動揺した。

それでも、この「気持ち悪い」という表現、思い当たることがあった。

私も、大学生のとき、アメリカにホームステイしたことがあったのだけど、1週間目くらいで、ものすごく気持ち悪くなったことがあった。
それまではなんとか環境になじもうと、観察をして、つたない英語で、最低限の生活はできるようになった。同時に、日本にいたときのようなコミュニケーションがとれないことに、徐々にイライラしはじめた頃。数日、食事も喉を通らなくなった。
友達ができて、韓国スナックみたいなところに連れて行ってもらって、カラオケしてブレイク、その後は楽しく過ごせたのだけど・・・

息子にも、韓国スナック的な何かが必要だ、 と思った。

「お母さんも、アメリカで、同じように気持ち悪くなったことがあったよ!」
息子に言った。
「え?本当?」
「うん。だから、すごくよくわかる。だけど、その薬は、頑張って、フランス語を聞こうとすることしかないんだよ。オーベルジュのみんなや、お友達をこれから作ってフランス語がわかるようになれば、絶対に治るんだよ」
「そ、そうなの?」
「そうだよ。最初はわからなくても、ちょっとだけでも、しゃべれるようになれば、気持ち悪いのはすぐ治るし、とっても楽しくなっちゃうよ!だから、お母さんとがんばろう。毎日、少しずつでいいから、フランス語おぼえようよ」
息子は起き上がり、涙をぬぐって、頷いてくれた。

ああ、この年齢で良かった。
もっと幼かったら、基本的に扱いが大変だし、 もっと大きかったら、この言葉の壁にさらに苦しんだことだろう。
それに、私が繰り出すきれいごとが、まだ素直に響く年頃で良かった。
そんな風に思った。

夫のフライトは翌日だったのだけど、当日モンペリエからCDGヘは、適した時刻のTGVがなく、パリに住むお友達に無理を言って、前泊させてもらうことになった。

この日、Camprieuからモンペリエまで、オーベルジュの誰かが車で送ってくれるはずだったのだが、お祭りで忙しく、バスで行ってくれないか、とのこと。

午前中に1本しかないバスでモンペリエまで行くと、予約したTGVの時刻まで5時間も待たなければならない。
しかたがない、慣れない道程だけど、私が運転して行くしかない、と決めた。

ドコモの海外1dayパケを奮発して、ナビを使おうと決めたが、田舎過ぎて通信事業者がまったくつかまらない。
Aさんに、だいたいの行き方をメモしてもらって、そのメモを頼りに、一路モンペリエへ。

いつも同じピンク色のパーカを着ているヤング、防寒具がこれしかないもので・・・。


 途中、ロッジ風の店でランチ。スキー場の近くみたいだった。冬は寒いんだろうな。

 この日のプレート。9€。串に刺さった牛肉。美味しかった。


 ムースオショコラ。どこで食べても美味しい。

 ティラミスは、やっぱり日本で食べたほうが美味しいかな。


後部座席から夫が地名をチェックしてくれて、なんとかモンペリエへ到着。
Occisitaneという、パーク&ライドができる駅に車をとめようと、ゲートの前に行くが、どうやって入ったらいいかわからない。
後ろの車に乗っていた人が、声をかけてくれた。

お金の払い方や、乗車券の使い方などを教えてくれて、私たちは近くの駅まで行くから、一緒に行こう、と連れて行ってくれることに。
優しい・・・。すがる思いでついて行った。

 トラモエと呼ばれるトラムに乗車する。

 プチ旅行気分で、息子も楽しげ。

 モンペリエは暑かった・・・トラムの中、冷房ないから、サウナ状態。

 TGVの出発時刻30分前に、なんとかモンペリエの駅に到着。

モンペリエは、コンパクトで綺麗な街っぽい。今度散策してみよう。

 駅の近代的なスーパーで、コンタクトの洗浄液を見つけて買い(田舎の店にはなかった)、息子がナゲット食べたい、というので、出発の時刻まで、駅前のマックへ。

 フランス式にビズして、お別れ。

ここで、夫と別れた。
息子は、あまり理解していない感じで、「じゃあね〜お父さん」とあっさり。

そこへ、女の物乞いがやってきて、ナゲットを一つくれとねだる。
息子は唖然。
こういう人たちを、見たことがなかったからだ。
Camprieuにはもちろんいないし、鎌倉にもいない。
その後、何人も浮浪者を見た。やっぱり都会なんだなあ、モンペリエ。

 ふたたびトラムに乗り、車を置いた場所へ。そして、ふたたびセヴェンヌへ。
ここからが、大冒険だった。
Aさんにもらったメモは、行きの目印が羅列してある。
帰りは、その目印をたどって行けばいいのだと思っていたが、なんだか違う・・・。
通ったおぼえのない道が続く。
「ここ、違うかも」
何度もロータリーをぐるぐる回っては出て、また戻って、を繰り返した。
「わからん・・・(汗)」

仕方なくそのへんにいる人を呼び止めるも、どの人も英語はからきしダメ、答えてはくれるが、早口でこちらもイマイチよく理解できない。
指差された方向へ進んだが、違ったり、とにかく迷いに迷った。

3時間ほどで、なんとかオーベルジュに到着。もうヘトヘトだった。

その夜、息子とベッドに入ると、それまで何も言わなかった息子が、また急に泣き出した。
「お父さんに会いたい。お父さんに会いたい」
まあ!なんと!
「お父さんは一人になっちゃった。お父さんはかわいそう」
しゃくり上げる息子。
そうか・・・。

「お父さんはさ、君のために、東京でお仕事がんばるんだよ。だから、泣くんじゃなくて、応援してあげてね」
と言うと、頷く息子。
「お父さんが、ちゃんと日本に帰れますように。お父さんが、お仕事頑張れますように。オレも、がんばるからね。お父さん、がんばってね」

そのまま、泣き寝入りをした。
抱き寄せながら、私もつい泣いてしまった。
大きな家に2人きり。ベッドもすごく広く感じた。

これから、息子と2人。
ここからが、この旅の本当のはじまりだ。
がんばろう、息子。
がんばろう、私。
そして、留守を頼みます、ヤング。














2016年7月16日土曜日

子連れフランス旅日記<出発編>

古い友人を頼って、もうすぐ5歳になる息子を連れ、南仏の田舎へ長期で旅に出ることにした。

本当は1年行きたかったのだけど、今はビザが難しい。とりあえず下見という感じで、行ってみることに決めて、ばたばたとパッキングしたのは前日。
詰めてみると、夏ということもあり、意外と荷物も少ないもので、 スーツケース2つ持つも、片方はスカスカしているほど。
本当に、こんなんでいいのかなあ、と思いながら、家族3人で、日曜の早朝に出発した。


「フランス、1時間で着く?」←東京にも着かないよw

 成田でも「もう着く?」着かないって。遠いから。

成田で荷物を預けるとき、片方のスーツケースが8kgの超過。
もうひとつのスーツケースに詰め替えるのも面倒なので、ヤマト運輸で段ボールを買って、息子の本や私の洋服などをボンボン入れて、息子名義でもう一つ荷物を作った。
これが、のちに、大変な目に遭うこととなる・・・(汗)。

今回のエアは、まさかのおそロシア航空、アエロフロート。
悪名高きこの飛行機を、私のフランス語のヴェロニク先生は、「サヴァ!」。なんでも、ストばっかりしているエアフラより、よっぽど安心できるんだって。

シェレメーチェボ空港まで、およそ10時間。
息子は、映画2本、ゲーム、パズルなどをして、いっこうに昼寝する気配なし。
到着30分前に眠りはじめ、モスクワでは機嫌最悪・・・・。

そういえば、モスクワ行きの機内で、「アーロと少年」を観ていた息子。
私は別の映画を観ていたので、ふと横を見ると、画面を見ながら号泣しているではないか。感受性が強いんだなあ・・・なんだか、この先が不安になる私。

モスクワでの滞在時間は1時間。トランジットは短くてありがたかったが、眠くてほぼ廃人の息子。が、がんばれ・・・

 先生の言う通り、悪くなかった、アエロフロート。機内食もまあまあ。ま、もちろんまずいけど。


パリに到着したのは20時くらい。
荷物を待っていると、ヤマト運輸の段ボール箱が流れてきた。
来た、来た、と思ってよく見ると、雑な私が作った箱とは、明らかに違う。ものすごくしっかりビニールテープで閉じてあり、そして、名前も、別人のもの。
「まさか・・・」
その、まさかであった。Keiko Watanabeと書かれたその段ボールを念のため引き取り、荷物が尽きるまで待っていたが、息子名義の段ボールは流れてこない。
「ケイコよ・・・持っていきよったな・・・」

いきなりのハプニングに、戸惑う私たち。
とりあえず、申告書には南仏で待つ友人の電話番号を記入して、歯がゆい思いで空港を出た。


 22時を過ぎてもまだ明るい、パリ。

空港内のホテルにしたら安心だったのだけど、値段は倍。
ケチ旅行なので、空港からナヴェットに乗って行くNovotelを予約してあった。
意外と慎重派の私、ホテルにメールをして、ナヴェットの乗り場もきちんと確認しておいた。おお、これだ、これだ、と、意気揚々と乗り込む私たち。

し、しかし、これが大間違い。
なんだか着かないな〜と思って、運転手にバウチャーを見せると、
「ノンノン!アナザーバス!!」
ええええ〜っっっ!?
なんで、私メールまでやりとりしたのに、嘘じゃん!?

運転手の言うままに降り、別のナヴェットを待つ。

 疲れはててよくわからん状態の息子。

「まだ着かないの・・・」
夫もあきれ顔。
「おかしいなあ、おかしいなあ」

で、あとから見たら、私、別の似た名前の系列ホテルにメールしてました。
ワハハ。
空港付近にはいくつもNovotelがありますので、皆さん、お気をつけください。ダッフンダ。

「いろいろあったなあ・・・」
当該ホテルに到着、憔悴しきった私と夫。時差ボケたかんじで、眠れるかなあ、と心配しつつも、その日はなんとか眠りについた。

 息子撮影、ホテル。ふつうに快適でした。

翌朝、少し早めに空港へ。
ひょっとして荷物が届いているかもしれない。何せ持ってった相手は日本人。
きっと届いているに違いない、そう信じて向かった。

空港では、アエロフロートのチェックインカウンターで聞くも、インフォメーションで聞くも、わからん、知らん、の連続。
方々たらい回しにされた末、途方に暮れる私。
しかし、荷物紛失の申告書の控えを出し、「あんたらがこれを私に書かせたんだから、これを扱う場所があるはずだろう!!」と何度も食い下がる私。
見かねて、通りかかった空港のインフォメーションの人が、「もう一つのインフォメーションに聞いてみようか?」と言って電話をしてくれた。

TGVの発車時刻まで、あと40分。
このとき、夫は息子と駅の近くで待機していた。
神よ・・・
祈りながら、電話の様子を待つ。

「ここから5分くらい歩いたとこにもう一つインフォメーションがあるから、行ってみて」
慌てて猛ダッシュ。ビーサンのペタペタした音が響き、皆が振り返る・・・。

目的の場所に到着すると、女性が、ああ、あんたね、という感じで、こっちこい、と、奥の部屋へ通してくれた。そこは、忘れ物センター的なところだった。
な、なぜ、すぐにここを案内してくれないのか!?
日本ではあり得ないこの対応。

「で、どこの飛行機?」
「アエロフロートだよ!!」
「証拠は?」
申告書の控えを見せる私。
「いや〜、ないね。届いてない」
よく読まずに、女性は言う。
「届いてたらまた連絡するわ」
「本当?緑と白の箱だよ?日本人が持っていったんだから、必ず届いていると思う」
「でもないし」
「もっとよく確認して!」
「ないったらない」
「本当に?」

もはやこれまでか・・・と思ったそのとき。
ふと視線を移すと、その女性のすぐ後ろに、 見覚えのあるヤマトの段ボール箱が・・・!
すっごく雑にガムテープでくくってある、あれは、私の荷物に間違いない。
「セサセサ!!!」
指をさして主張する私。
「はあ?」
って感じで振り返り、悪気もなく、名前を確認すると、
「はい、受け取りにサインして」

おいおい・・・!!
ないって言ったのアンタでしょう・・謝れよ・・・確認せずに「ない」って言ったことをよ・・・怒
日本語でおもいっきり目を見て言ってやったが、肩をすくめていた。
しかし、きっと意味は伝わったと思う。 

ともかく、カートに段ボールを載せ、TGVの駅へふたたび猛ダッシュ。
私の姿を認めると、大喜びで息子が飛び跳ねた。
どうだい、お母さんはスゴいだろう。
モンペリエ行きのTGV、発車時刻20分前のことだった。

TGVでモンペリエまでおよそ4時間。

プラットフォームへ降りるエレベーターが混み合い、段ボールの荷物をスーツケースに詰め込む暇もなかったので、仕方なくヤマトの箱を持ったままTGVに乗車。
ギリギリだったな〜。しかし、見つかってホントに良かった。

飛行機に比べて、席も広々、のどかな景色も楽しめるTGVは、なかなか快適。
車内の売店で、クロックムッシュを買って、軽いランチ。

ドリンクと、リンゴが付いていた、美味しかったね。

あっという間、でもなかったけど、まあ、そうこうしているうちに、モンペリエに到着した。

プラットフォームまで、友人Aさんの夫、Fが迎えに来てくれた。
Fはフランス人なんだけど、日本に8年ほど住んでいたので、日本語が達者。
ほっとしながら、車で目的地のセヴェンヌへ向かう。

想像以上に近代的な街、モンペリエ。暑かった!


モンペリエが都会的だったので、な〜んだ、けっこう街じゃん、などと思っていたが、車で約2時間。
そこには、スケールの大きな農耕風景が、パノラマで広がっていたのだった・・・!!


見渡す限り、こんなです。待たれよ次回!

















2016年7月4日月曜日

ひまわりの花束

まったくの急展開で、6月で職場を辞した。
今は、しばらく実家で息子と過ごしている。

5年前、お産のために里帰りしたのも、この季節だった。
おおげさなようだけど、自分の人生の節目としての夏がまたやって来た、なんとなく、そう思う。


この夏の計画を考えたとき、いよいよトップシーズンを迎える職場で、このまま働き続けることが難しいと判断したのだけど、 これまで本当に良くしてくれたスタッフのみんなと別れるのは、やっぱり寂しかった。
学生以来、組織に所属し続けてきたので、やめるという選択をすることが怖くて、迷いはあった。
それでも、「選択に自信を持つ」が身上なので、思うままに、ともかく進むことにして、そうすると、さまざまな偶然が重なりはじめ、新しい流れに乗った私の船は、加速を始めるのだった。


そんなここ数週間の出来事を、おぼえがき。

横浜の素敵ママ宅へ、お泊まりパーティー。
女子力の高い2人のママに、おっさんの私がなぜいつも仲良くしてもらえるのか、はなはだハテナなのだけど、この夜も楽しかった。3時近くまで話して笑って、寝不足の朝。

持ち寄りディナー。コブサラダ美味しかったよ!

 幼なじみの3人。仲良し。いつでも息子は裸の大将。

子供たちのテーブルがあるって、嬉しいよね。 

翌日は、夫のジャズバンドの演奏を見に、港区へ。
けっこうお客さんが入っていて、ほとんど練習に参加できていなかった夫の出来が気になる。
ベースの音を注意して聴いてしまう私。
まあ、なかなか良かったんじゃないかな?



今年はボーカルも入って、楽しかった。

「お父さん、かっこいい・・・」と息子。数曲聴いたら、もう飽きてしまったが。。

それにしても港区。
ちょっと停めただけだと思ってたんだけど、駐車料金が高くてびっくりした。
田舎ッペには痛い出費。次回は電車で来よう・・・。

夜は、職場のレストランまで行って、食事を楽しんだ。
夫がお酒を飲まずに我慢してくれて、ありがたく車で帰る。


不思議な縁で、この職場にお世話になった。4年と3ヶ月。

そして、いよいよ勤務の最終日。
引き継ぎ業務をいろいろ片付けて、挨拶してまわる。
スタッフのみんなから、あたたかいねぎらいの言葉と、お別れのプレゼントをいただいた。
最後に仲間たちが見送りに出てきてくれて、涙のお別れ。
泣きながら、最後のロングドライブで、息子の待つ保育園へ向かった。

 若いみんな。優しくて、仕事熱心な人ばかり。娘や妹のように、かわいかった。


5月のおわりに、職場で結婚式の仕事があった。
新人の若いスタッフが進行役に抜擢されて、試行錯誤しながら仕事に取り組む姿を見た。
不器用に時間をかけ、真剣にゲストの要望を聞き、悩んで、落ち込んだりしている様は、20代の頃の自分を思い出させた。
「私も、いつか、できるようになるでしょうか」
手練の私に、涙目で聞いてくる彼女を見ながら、 つくづく思った。
ああ、彼女の仕事人生は、始まったばかりなんだなあ。

20代は手探りで仕事にもがき、30代は采配の世代。40代からは、育成とサポートに回る世代。
家庭、子育てと両立する場合、そこで何を中心にするかは、人によって異なると思うけど、やっぱり、女性の仕事は、20代、30代が最盛期だと思う。

約20年、仕事をしてきた。
これから、どう時間を使うか、今は少し、ゆっくりと考えたいと思っている。

仕事最終日の夜、いただいたプレゼントや手紙を自宅のテーブルにならべて、ひとつずつ眺め、しばらく感傷に浸っていると、ピンポーンとインターフォンが鳴った。
荷物かな?と思って出てみると、大好きな西鎌倉のお花屋さんだった。

夫が、私にサプライズで花束を頼んでくれていたのだった。



「お母さん、良かったね!」と息子。ありがとう。

ひまわりを中心にしたアレンジに、
「お仕事お疲れさまでした」
というメッセージがついていた。

 結婚して14年、この花束ほど嬉しかったことはない。
「奥さまはひまわりのイメージで、と、旦那さまからご依頼がありました」
と、花屋さんが言った。

ひ、ひまわり・・・

なんだか嬉しくて、また泣いてしまった。
日中から涙腺が緩んでいるので、すぐ涙が出る。

だいたい、自分の勝手で、仕事を辞める私に、
こんなに優しい気持ちをくれるなんて、なんて人がいいんだろう、と思った。

私は、子どもの頃から、両親に、何かを反対されたことはない。
進路も、結婚も、すべて自分の思う通りにさせてもらった。

しかし、考えてみたら、夫も、私の希望を叶えてくれる人だった。

結婚してくれて、夢だった東京で働かせてくれた。
痩せるために高額なエステ代金を払ってくれたけど、痩せなくても文句を言わなかった。
毎年、私が勝手に行き先を決める海外旅行へ、一緒に行ってくれた。
私が子どもを諦めかけたのに、彼は諦めなかった。
引っ越して家を建て、通勤時間が倍になっても、「引っ越してよかった」と言ってくれた。

もちろん、いいことと同じくらい、腹立たしかったこともトホホなこともある。
だけど、今、夫は、いい人だなあ、と思う。

花束が届いて2時間後くらいに帰宅した夫。
いつもは先に寝てしまう私だが、この夜は彼を待ち、ふたりで美味しいクレマンを飲んだ。
夫はその後安いワインに手を出し、テーブルで寝てしまったので、放置して私はベッドへ入った。

 年末に、弟がくれたクレマン。弟は下戸だけど、彼の友達が、ビオワインのお店をやっているのだ。

 その後、連日、楽しい集いが続いた。
 世田谷の素敵なマダムのお宅では、持ち寄りランチパーティー。
食の趣味がばっちり合うお友達と、有意義なひととき。


 このテーブルコーディネート!素晴らしい世界観。


お友達主催のフリマへ行ったり、ワークショップに参加したり。
ああ、つかの間の、優雅な主婦気分。



これ、私が作りましたっっっ!!グレナトレドさんの、WS@Tサイトにて。貝と、あじさいのリース。


そして今、実家に帰って、両親や弟たちと、リラックスした時間を過ごしている。

諸処片付けた後は、いよいよ旅立ち。

さあ、どうなることやら・・・

不安もあるけれど、新しいことに出合うワクワクのほうが大きい。
また書きます。
 


オロナミンCが大好きないとこ同士。